0 Shares

感受性

スポンサーリンク

子供の頃は、僕は泣き虫でよくいじめられました。今も丸いですけど、子供の時も丸かったから、デブだの、豚だの言われました。後はタレ目ね。これもよく言われました。家に帰って母親に今日はタレ目って言われたっていうと、人間はみんなタレ目だから気にしなくてもいい!と今から考えると、全然慰めになってないことを言われました。自分なりに納得はしましたけどね。

そんな感じで泣き虫だった僕は、中学に入って2回泣かされたね。これは今でも覚えてる。そのあとは僕は泣くのをやめたかのように、母が亡くなるまで泣かなかったような気がします。その間、悔しいことは何度もあったし、悲しいことも何度もあったし、それでも泣くということはなかった。

その後3年前に母親が亡くなってから、どういうわけだか、涙腺が実に緩くなりました。これはどういうことなんですかね。例えば井上真央ちゃんの朝ドラおひさまで、とくに太平洋戦争の時の状況を見れば泣くし、スポーツ選手が頑張って実績を上げれば、よく頑張ったねと泣くし、本を読んで感動すれば泣くし、こんなことは今までなかったことだったのです。

今日も、高校の先輩が飼っている17年も生きたわんこさんが、亡くなりました。ブログを拝見したんですけど、先輩がカラ元気なのはよくわかるし、その気持を考えるとこっちまで悲しくなってしまったり、俺ってこんなに涙もろかったけ?と自問自答しているのです。

音楽だって、ずっと洋楽ばかり聞いてたから、まず歌詞を気にする前に、メロディやサウンドがどれだけかっこいいかで音楽を聴いていたけど、最近は、竹内まりやのいのちの歌の歌詞を聞いて大感動して、最初はこの曲を聴くたびに泣いてましたよ。泣きたい日もある、絶望に嘆く日も。。というところもあって、それは自分の中に落としこんでみたり。歌詞ってこうやって自分の中に取り込むのかなとこの年になってわかった感じがするのです。

先日も、日本の女子卓球選手の愛ちゃんと石川佳純ちゃんで、日本のチャンピオンのやり取りをしているんだけど、そのドキュメンタリーで愛ちゃんがどれだけ頑張ってるかとか、石川佳純ちゃんが、どれだけ勝負に自分をかけているのかというのをみて、おじさんは感動して泣いてるのです。

今度ロンドンオリンピックが始まりますけど、どれだけおじさんの涙腺が緩むのかと思うと今からうるうるしております笑