苦労はしないほうがいいに決まってる
僕の人生を一番潤わせてくれたのは、司馬遼太郎さんの著作に出会ったことであり、彼の本を読むことで日本の歴史を知って、これは実に楽しい。そういうことを教えてくれた司馬遼太郎さんは、僕にとって神様のような存在で、僕もできるだけ彼の本を色々と読んでいる。
それは名作からエッセーまで読んでいて、いわゆる博学というのはこの人のためにあるんじゃないかなと思うくらい、司馬さんの歴史的な知識は半端じゃない。僕は司馬作品から学んだ幕末や戦国時代位の事しか知りませんが、司馬さんは日本史の通史を細かいところまで知ってる。今更ながら凄いとしか言いようがない。
その司馬さんがそのエッセイで
人間は苦労しないほうがいいに決まってる、苦労して良かったというのは、成功した人がそういうのであって、一般的には苦労することで性格が歪むのでいいことはない
ということでした。僕もそう思います。
日本史を振り返ってみると、大転換期は戦国時代と幕末だけど、戦国時代の中心になった織田信長は、織田家の御曹司で生まれながらの殿様だったし、幕末の長州の英雄、高杉晋作は身分の高い家の出身だった。また人気の高い坂本龍馬にしても、身分は低くても土佐藩屈指の大金持ちの出身。彼らに共通しているのは、天才であったということと、いい意味で卑屈ではなく素直だったということで、そういう性格もあって大きな仕事ができたんだと思うね。
一方で普通に苦労をすると、心が荒んじゃうというのは本当にそうで、知恵の持って行き方が実にいやらしいところがあります。僕の人生の半分近くを一緒に暮らした人はまさしくそういう人で、僕は一緒になるまで知らなかったけど、親元を離れて随分苦労をしたらしいし、仕事をしてからも徒弟制度の厳しい世界にいたから、そういうところがますます磨かれていったと推察する。
だから、僕と喧嘩をするときは、僕がどうしたら困るかということを熟知しているし、本人も僕に対してあなたが何を考えているのかわかってると明言してましたから、実にいやらしい攻撃をしてきました。また、別居してから実際に離婚するまでに2年近くかかりましたが、その間も僕はもちろん、パートナーに対しても様々な形で攻撃をしてきました。例えば、探偵を使わなければ絶対わからないようなことが相手にはわかっていたということが多々ありました。それがその人にとってどういうメリットになるのか未だにわからない。そもそも離婚するのに2年もかかるという事自体が、周りから随分不思議がられた。別れるにあたっては、修羅場を見たって言えば見たってことです。
この相手を追いかける作業というのは、実に大変で労力がかかるものなんです。それは僕もやったことがあるし、何故か僕は昔からそういうことをよくやられるのです。ただ、経験ややった方のその後の動きをみると、そういうことをやった方にとって実はものすごく不毛な作業だということがわかる。つまり、作業の割には実入りが恐ろしく少ないのです。
ところで、僕は中学高校と付属に行ったので、生徒もそこそこの家庭の子が多いし、どちらかと言うと曲がってない人がほとんど。もう少しわかりやすく言えば、普通に大事に育てられて、普通の教育を受けて、それを素直に受け止めて人生を生きている人だということです。
僕のパートナーが、僕は高校の同級生と一緒になれば、離婚することもなかったし、ましてや自分とも知り合わなかったねとよく言います。過去は戻れないけど、今から思うともう少し視野を広くして、色々な人と知り合えれば良かったということは今でも思う。それは今の年令になって、高校の同級生とは特に親切にしてもらっているけど、30何年前にこの人達と知り合っていれば、あんなつまらない高校時代を過ごさなかったのにと思う。
話は脱線しちゃいましたが、きちんとした自然の思いやりのできる人が高校には多かったんじゃない?ということなんだと思いますが、本当にその通りで、あの当時は派手な人にばかり目に行ってたけど、今にしてみると自分の視野がいかに狭かったと思わざるをえない。
こう考えると今更ですが、若い人達には結婚なり、一緒に生活をしていくという相手がいあたら、その人の育った環境というのは知っておいたほうがいいと思う。違った環境に育つとあまりにも価値観が違って、それは生活すればするほど、違和感が生じてきていいことはない。最近そう思います。