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京都御所ー蛤御門

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京都という場所は、平安時代から江戸時代まで日本の政治の中心になったところであり、歴史のエッセンスがたくさんあって歴史ファンにはたまらない場所です。この11月の連休では紅葉という実にのんきな事をしましたが、実は歴史の縁の地に足を踏み入れてみたいという気持ちは、京都に行くたびにあって、今回の旅では最終日に味わうことができました。

そのひとつは二条城について書きましたが、その日は予め宮内省に申し込んでいた京都御所にもいきました。この京都御所は、当然のごとく広大で色々なところに門があり、その門の一つに蛤御門という門があります。この門自体は取り立ててたいしたことはないのですが、世に言う蛤御門の変がおきた場所でもあり、実に歴史的に重要な事件で、それがどういう状況になっているのか見たいと思っていました。というか、以前も何か出来たことがあるのですが、見るだけで終わってしまい、写真を撮ることを忘れて、今回無事撮影することが出来ました。

そもそも蛤御門の変とは何かというと、蛤御門の変で幕府、薩摩藩、会津藩と長州藩との戦いがあり、この戦いで長州藩がボロ負けして、その後幕府による第一次長州征伐があり、坂本龍馬による薩長同盟ありといった明治維新成立の大きなきっかけとなる戦いでした。この戦いによって、長州藩の会津藩への恨みは深く、戊辰戦争での白虎隊の悲劇もここから始まったと言っても過言ではありません。

じゃあ、この蛤御門の変はなぜ起こったかというと、蛤御門の変の前に薩摩と会津が同盟を組み、朝廷における長州系公卿を一掃するという八月十八日の政変というクーデターに端を発します。それまでは朝廷は長州系公卿に壟断され、実に勝手な勅令が出されていたのですが、それをよしとしない薩摩が会津と手を組んだというのが真相です。それに怒った長州が京都に乗り込んで、そこで戦いが始まり、その戦火が京都全域に及んだという事もあり、その歴史的意義も含めて有名な戦いとなってます。その時の状況がの絵が残っているので、ここでご紹介します。

で、この門にリアリティがあるのは、当時の弾痕がこの門に残ってるんです。この蛤御門の変というのは、1864年におきた武力衝突ですが、この時から150年たった今もまだ、残ってます。

この木の白くなっているところが、弾痕です。凄いでしょう。

ちなみにこの戦いにはそのご著名となった人が参加してます。有名どころだと、徳川慶喜、松平容保、西郷隆盛、長州側は久坂玄瑞、来島又兵衛など。長州側は悉く自害切腹。参加しなかった桂小五郎は逃亡と実にドラマチックな展開になり、これによって塗炭の苦しみを味わう長州は薩摩を許さなかった。それを坂本龍馬が中心になって、両者のほつれた糸を解して、薩長の秘密同盟を結ばせ、明治維新に進んでいくということになります。

話は変わりますが、この京都御所というのは予め参観を申し込むと、中に入る事ができます。
https://sankan.kunaicho.go.jp/index.html

建物は、小御所を見ることができて感激だったのですが、この小御所というのは大政奉還後、御所内の小御所で岩倉具視と山内容堂が徳川慶喜の扱いをめぐって大議論をしたという小御所会議があったところで、僕はおーここで揉めたのかと感慨ひとしおでした。
小御所会議

あとは、庭園が素晴らしい。特に池と松。御所は松なんですかね。

なお、この参観は結構多くの人が来てましたし、ちゃんと申し込まないと中に入れないので、京都に行かれる方が、お勧めです。