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八重の桜はどうして面白いのか

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八重の桜が始まって、だんだん日本の歴史の一番ダイナミックなところに突入してきて、これからどういう描写のされ方をするのかとても楽しみにしてるわけです。そんな八重の桜も最初はそれほど期待はしてなかったのです。それは、篤姫以降、天地人、龍馬伝、江~姫たちの戦国~、平清盛と、ひどい作品が続いたからです。

僕もこの数年でかなり学習をしてきて、どうなるとドラマが崩壊するのかということがよーくわかりました。一つは、脚本家が暴走するときです。それは、大河ドラマだと江~姫たちの戦国~が顕著で、田渕久美子という人は恐らく野望があって、橋本壽賀子を狙ってたんじゃないかという感じはしますね。この人の場合は、篤姫の成功で気を良くして、その二番煎じをこの江~姫たちの戦国~でやろうとしたんでしょうが、大失敗した。

もともと、このお江という人がメジャーになれなかったのは、歴史的に何も足あとを残してないから。それに対して田渕久美子はお江は生物学的な勝者であるといいました。これは、結局お江という人が、歴史的に全く何もしてないために苦肉の策というようなこじつけだと僕は思いますね。それはどういうことかというと、お江は家光を産み、徳川家の権力基盤を盤石にしただけではなく、お江の娘が皇室に嫁ぎ天皇を生んだということなんだそうです。だから、このドラマの後半は、ひたすら出産するシーンばかりで、どうしょうもないなと思ってみてました。

この結果、主演の上野樹里はどうなったかというと、全く何処かに消えてしまいました。かわいそうにという感じがするね。当初、お江は上野樹里が一番私のイメージに合うと田渕久美子は言っていたけど、責任をとるべきだと思う。その上野樹里ちゃんは、3年ぶりくらいに映画に主演します。良かったね。タイトルは「陽だまりの彼女」。この映画は僕にとっても特別なものになりそうな予感と言うか、早く見たい。ちなみに松本潤が出てきたら、眼をつぶるけどね。

次に崩壊する理由は、画面のかっこ良さだけにこだわるとダメですね。これは、前に「ハゲタカ」が大成功をして、その余波を時代劇で再現すると、いつも砂埃がふいているような感じになる。そのはじめが龍馬伝で、それを極めたのが平清盛。この2つが共通していたのは、

  • いつも誰かが怒鳴っている(絶叫している)
  • 人物も空気も汚い
  • 必ず誰かが哄笑している

こんな感じですかね。この一連のドラマは、厚化粧と一緒で、中身はないけど外面は上塗りという感じで、こちらも見てて辛いところです。

結局、篤姫を見てて思ったのは、やはりストーリーが面白くて、次にキャスティングがいいということ、出来れば音楽がドラマにマッチしているというのが一番なんじゃないかなと思うのです。できれば、音楽はサントラを買いたい!と思えるようなものだと最高だと思うのです。

で、我らが八重の桜については、今まで見ている限りストーリーが抜群に面白い。これは脚本家の山本むつみさんの本の力によるところが大きいと思います。彼女の履歴を見てみると、「ゲゲゲの女房」の脚本を書いてるんですね、その実績をみてみるとやっぱりという感じで面白いはずだと僕は思いました。インタビューが公式サイトに掲載されていて、

http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/special/interview01/

この山本さんのインタビューを読んでみると、やはり会津藩という敗者の立場で歴史を眺めてみているということが書いてあります。

つまり、ここで重要なのは、今の日本というのは、明治の太政官政府をそのまま引き継いでいるところがあり、歴史観も革命の勝者である薩長による史観なわけです。これは時の政府として当たり前のことです。それは自分の実績を正当化するということは政府としては当然なことで、それに反抗勢力に対しては厳しい。

ただ、歴史観というのは1つだけじゃないわけで、特に革命の場合は勝者がいる以上敗者がいるわけで、その負けた側から歴史を見るというのは、また新しいモノが確実にみえてくる。これは篤姫がそうでしたね。徳川の立場で歴史を描いたところで、かつ、歴史の勝者である薩摩から徳川家に嫁ぎ、江戸を火の海から救った女性がいたということを知るだけでも、実に面白かったわけです。

八重の桜については、勝者から完膚なきまでに叩かれた会津藩がみた明治前後の歴史を描くというのは、素晴らしい企画であり、山本さんはそういうことがわかって、脚本を書いているから八重の桜は面白いんだと僕は彼女のインタビューを読んで、納得したのです。長いですが、インタビューを引用します。

今回のドラマで大事にしているのは、「歴史に、今までと違う方向から光を当てる」ということです。八重さんたちの大切な故郷・会津は、幕末の動乱の中で敗者の側に回ってしまいます。負けた会津の視点に立って脚本を書いていくと、今まで知っていたのとは全然違う、幕末の景色が見えてきました。 

資料を調べたり、脚本を書き進めていく中で、「なるほど!」と思うことがたくさんありました。発見の連続です。薩摩や長州など勝った側から描くときは、「尊王攘夷」や「王政復古」といった明解なスローガンがあってわかりやすいですし、物語もダイナミックに動きますよね。けれど、負けた側を描くには、「なぜ負けたのか」「誰がどんな決断をしたのか」を、緻密に掘り下げていかなければならないと再認識しました。

山川健次郎

歴史的に見ると、会津は負けるべく負けたし、薩長は勝つべくして勝ったというところはあります。ただ、面白いのは、会津の山川健次郎(八重の桜では山川大蔵の弟)が東京帝国大学の初代総長になり、八重の兄である山本覚馬は、新島襄と同志社を立ち上げたように、日本の教育を担った人材が輩出したというところがあります。それは会津藩の藩士への教育がしっかりしていたというところもあります。そういうことがこれから八重の桜でも描かれるんだろうと思っています。