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僕のベトナム考2

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ベトナムに行く前には事前にいろいろな本を読んでみたのですが、僕の大好きな司馬遼太郎さんがベトナム戦争中にベトナムを訪れていて、それに関しての本を見つけたときは感激しました。それは司馬さんの考え方と言うのは、実に全うですし、国というものは何かということを常に考え続けてきた人でもあるので、ベトナムという国がどういう国家なのかということを知るには大変参考になりました。


その本の名前は、「人間の集団について―ベトナムから考える」というもので、北ベトナムには当時は行けなかったと思うのですが、南ベトナムについて検証していて、色々と結論づけていて大変面白い。また、今は恐らくないと思いますが、第二次大戦で日本が負けた時に、軍隊にいたものは陵辱にあうという噂が軍隊内に蔓延したそうで、そんなバカな思いを受けててたまるかという人達は、そのまま現地にいついていた日本人も多くいたんだそうです。

僕らの世代で言うと、小野田さんとか横井庄一さんとか戦争が終わったことを知らずに、ジャングルにいたという人もいましたけど、そういう人達ではなくて、日本が戦争に負けて、軍人や兵隊さんはひどいことをされるんじゃないかという噂が流れたと言うのは、わからないでもないし、国の命令でやったのに、どうして自分たちがそんな馬鹿なことをされなければいけないんだという気持ちになったのもすごくわかります。日本はこういう人たちに対しても、きちんと責任をとるべきだと僕は思います。

そういう人達が、ベトナムにも多くいて、彼らは寿会というものを作り、彼らのベトナムでも功績もあり、後の日本人はベトナムの人達から好感を持たれるようになったということが、司馬サンの本には書いてあります。

では、寿会について書く前のことをまず書きます。以前フランスが植民地としていたベトナムは、ラオスとカンボジアをあわせて仏印と呼ばれていたことがあります。この仏印に対して第二次大戦中に日本が侵攻して、フランスがドイツに負けていたということがあるにせよ、フランスを駆逐したという歴史があります。ベトナム人にすれば、自分たちと背格好も変わらない日本人が、今まで勝てないと思っていたフランス人を追い出したと言うのは、同じアジア人ととしてものすごく勇気づけられたそうで、それも日本人に対する信用力の元にもなりました。

そして、寿会と言うのは、旧日本軍の兵隊だった人が中心になった会で、ベトナムの内戦などで軍隊の指揮などを結局手伝わされたらしく、それがかなり的確だったそうです。日本が仏印に進駐して、その後日本が戦争に負けると、フランスはまたベトナムを植民地とするべく戻ってきて、これがきっかけで第一次インドシナ戦争が始まり、ここからベトナムは30年近く戦争を続けることになります。その第一次インドシナ戦争の時に、寿会の日本人がベトミン軍を指揮して、局地戦などでフランスを駆逐したそうです。

そういう過去の例があるということもあって、ベトナムの人達は日本のことが好きな人は多いと聞きます。実際に僕が観光地にしかいかなかったということもありますが、ベトナムの人に嫌な思いをさせられたことはありません。せいぜいお釣りをご任される程度。

で、特にベトナムの人達が嫌いな国は、中国、韓国、そしてアメリカ。中国は歴史的にベトナムを侵略し続けたということがありますし、韓国はベトナム戦争で活躍をし過ぎたということもあって、やっぱり嫌われている。アメリカに関してはもう言わずもがなで、あれだけベトナムで散々ひどいことをし続けていたわけですから、当然だと思います。

ベトナムについては、確かにまだまだ文明は先進国から比べると遅れてるのです。司馬さんがベトナム戦争中に南ベトナムを訪れた時が昭和48年、西暦で言うと1973年で、この時のベトナムという国は、司馬さんの表現で言うと、日本の戦国時代や江戸時代初期だって言ってました。

そういう感覚で現代のベトナムを見てみると、日本よりは文明的に相当遅れている。特にインフラはかなり遅れていて、信号も少ないし、バイクの数がひどいし、そう考えると、少なくても50年は日本と比べると遅れている。ただ、50年以上前のベトナムは当時の日本と比べると400年以上遅れているわけだから、この50年のベトナムの進歩は著しいといえると思います。

このベトナムという国が優れているのは、その料理がものすごく美味しいというところで、これはアジア全般に言えることで、それは我々アジア人は誇るべきことだと思うのです。つまり、中華料理、日本料理、ベトナム料理、韓国料理、インド料理、タイ料理などなどあげたらきりがない。当たりまえですが、本場のベトナムの料理は実に美味しい。レストランで西洋料理食べますかって聞かれますが、とんでもない。ベトナムまできて食べるのは、ベトナム料理に決まってます。

ところが文明が高いと自負している欧米に於いては、国の名前が冠するのはせいぜいフランス、イタリア、ロシアぐらいなもので、アメリカ料理とかイギリス料理なんて聞いたことがない。結局我々アジア人のような繊細な舌が彼らにはないんでしょうね。だから、アメリカのフードコートなんか行ってみたら、食べ物をまるで家畜の餌のように扱うようなやり方を見て昔驚いたことがあるし、そもそもマクドナルドのハンバーガーのように食べれば食べるほど健康を害するような食べ物があったりして、これは我々アジア人の感覚からすれば相容れないものです。

そんな実に素晴らしい料理文化をもつベトナムという国は、多くの人に知ってほしいと思うし、なんといっても、第二次大戦で日本が負けて以来、30年近く戦い続けて、独立を勝ち取ったというのは尊敬すべき人達と僕は感銘しているんです。

もともとベトナムが南北に分断されたのは、社会主義陣営と反社会主事陣営との反目というよりも、アメリカの身勝手な思惑で反共の防波堤として南ベトナムに肩入れしたことで、結局ベトナムが2つに割れた。しかも南ベトナムは国民への弾圧、政権内の汚職、貧富の差などで、政権から国民の人心が離れていました。

そんな圧政を敷いて、政権内は勝手なことをしているような政府から国民を開放しようという動きが出てくるのは当然の流れだし、しかも北ベトナムにはホー・チ・ミンという清廉潔白で、歴史的な政治指導者が、独立ほど尊いものはないと宣言して、圧政から解放しようという動きに多くの人が賛同するのは普通のことです。

その民族の独立をアメリカの勝手な論理で妨害をするのであれば、それに対する不満は当然爆発するわけでして、ベトナム戦争は起こるべくして起きたものだと僕は思います。どちらが正義か。或いはどちらが正しいかと考えれば、当然民族の独立を訴えるほうが正しい。

新しい政治が生まれる時は、旧政権とも新政権とも大きな痛みが生じるのは、革命の場合はしょうがない。ベトナムの場合は、フランスと戦って駆逐して、アメリカとの戦いについては、当時のソ連などの共産陣営から武器供与があったにせよ、10年間戦って、結局アメリカを休戦に持ち込ませた。なんて、僕は偉大なんだろうと心から思うんですよね。

そんな過去があって、今、平和なベトナムがある。すごい国です。