2016/07/060 Shares

徳川宗家現当主の徳川恒孝氏のインタビューが面白い

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週刊朝日の記事で「徳川宗家現当主 「旧大名家の子孫が多い学習院の歴史授業は難しい」」がdotの記事がとても面白いので、紹介します。特に歴史が好きな人はおすすめです。

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徳川恒孝氏とは

徳川恒孝氏は、元々会津松平家の方でその後宗主に養子に行き、跡を継がれたというお方。もともと会津松平家といえば、去年の大河ドラマの舞台になったまさしく会津の松平の方で、その方が徳川宗家を引き継いだというのがまた面白いですね。幕末の時は、慶喜に振り回されるだけ振り回された家ですから。

ウィキペデイアで恒孝氏の事を調べてみたら、家族や親戚が凄いのです。(外様大名は太字にしました。)

  • 徳川宗家現当主 「旧大名家の子孫が多い学習院の歴史授業は難しい」
  • 父:松平一郎 – 御家門の会津松平家分家当主、東京銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)元会長
  • 母:松平豊子 – 徳川宗家家正の娘
  • 兄:松平恒忠 – 日本英語交流連盟会長、日本フィンランド文化友好協会会長
  • 弟:松平恒和 – 早稲田大学国際情報通信研究センター客員教授
  • 義父・祖父:徳川家正 – 徳川宗家第17代、貴族院議長、外交官。外祖父で、実子の家英早世後に、養子縁組を結び養父となる。
  • 義母・祖母:徳川正子 – 島津忠義の八女、外祖母、菊麿王妃常子、邦彦王妃俔子の妹、香淳皇后の叔母
  • 祖父:松平恒雄 – 容保の四男、外交官、宮内大臣、初代参議院議長。一郎、勢津子の父
  • 祖母:松平信子 – 鍋島直大の四女、常磐会会長。
  • 曾祖父:徳川家達 – 徳川宗家第16代、貴族院議長ワシントン軍縮会議首席全権大使、第6代日本赤十字社社長。
  • 曾祖父:島津忠義 – 島津久光の長男、島津氏第29代。祖母正子の父
  • 曾祖父:鍋島直大 – 外交官、肥前国佐賀藩第11代(最後の)藩主、皇典講究所第4代所長
  • 曾祖父:松平容保 – 祖父恒雄の父、京都守護職
  • 伯父:徳川家英 – 家正の早世した嫡男、義兄に当たる
  • 妻:徳川幸子 – 旧姓:寺島。元客室乗務員。元伯爵で寺島宗則の曾孫。寺島宗従の長女、元侯爵細川護立の外孫、元首相細川護熙のいとこ
  • 長男:徳川家広 – 翻訳家、ベトナム人女性と結婚
  • 叔母:秩父宮妃勢津子 – 一郎の妹
  • 従弟:上杉邦憲 – 宇宙工学者、上杉家第17代当主、母方の叔母の子。
  • はとこ:黒田長久 – 黒田家先代、鳥類学者。山階鳥類研究所名誉所長。日本野鳥の会会長、黒田奨学会総裁、故人。以下その人物の祖父母が兄弟で、共に島津忠義の曾孫でその子供達の孫である。
  • はとこ:松平直壽 – 松江松平家当主、同上
  • はとこ:筑波常治 – 筑波家当主、元早稲田大学教授、同上
  • はとこ:筑波常遍 – 真言宗山階派大本山勧修寺第45代長吏、常治の弟、同上
  • はとこ:徳川宗英 – 田安徳川家第11代当主、作家、同上
  • はとこ:徳川宗賢 – 言語学者、国語学者。大阪大学教授、学習院大学教授、国語学会代表理事、第21期国語審議会委員。宗英の弟、故人。同上
  • はとこ:久松定成 – 久松家先代、元愛媛大学教授、靖国神社崇敬奉賛会元会長、「ヒサマツサイカブトムシ」の発見者。故人。同上
  • はとこ:今上天皇 – 第125代天皇、同上
  • はとこ:常陸宮正仁親王 – 常陸宮家当主、財団法人日本鳥類保護連盟総裁、同上
  • はとこ:久邇邦昭 – 久邇家当主、神社本庁統理、同上
  • はとこ:島津修久 – 島津家当主、島津興業会長、鶴嶺神社宮司、照国神社宮司、平松神社宮司、鹿児島経済同友会代表幹事。同上
  • はとこ:島津禎久 – 旧佐土原藩島津家出身、カメラマン。山階鳥類研究所理事長島津久永の長男、同上
  • はとこ:徳川宜子 – 紀州徳川家当主、建築家、同上
  • はとこ:徳川慶朝 – 徳川慶喜家当主、カメラマン、共に松平容保の曾孫
  • 義従兄:徳川義宣 – 尾張徳川家21代、美術史家。義宣の妻三千子が恒孝と従姉、同上

面白いのは、外様大名とは親戚だけれども譜代大名とは親戚にはなっていないこと

徳川と松平は一緒みたいなものですから、それは大騒ぎはしないんだけれども、いわゆる外様大名だと、

  • 島津家ー徳川幕府を倒した薩摩藩ー西郷隆盛や大久保利通が所属した藩
  • 上杉家ー元々は上杉謙信の家系
  • 黒田家ー今大河ドラマの「軍師官兵衛」の黒田家

この内、島津と上杉は関ヶ原の時に徳川と敵対している家ですからね。両家とも潰されませんでしたが、300年近く国政には参加ができなかった。黒田家は福岡52万石の家で、正式な家祖は官兵衛の長男である長政。この人は、関ヶ原の合戦前夜、豊臣の尾張系大名を徳川陣営に引っ張ってきたことで、非常に大きな働きをして、徳川家康に感謝された人物でもあります。

あと、面白いのは、さすがに譜代大名とは親戚関係になってないんですね。それは徳川から見たら、使用人の家系ということもあるんでしょうか。

学習院では日本史の授業が難しかったそうです

そういったかつての歴史で様々なことを抱えながら、江戸時代〜明治〜そして現代に至ると大昔ではありえないような人間関係が成立していておもしろいですよね。

あと、この件で面白かったのは、

旧華族の生徒が多かったので、歴史の授業は難しかったようです。なにしろ島津さん、毛利さんの隣に、徳川さんや松平さんが座ってますから。母の話では、鎖国をした徳川の政治が悪かった、という話が授業であったときに、母の妹が教室の隅でシクシクと泣きだしたそうです。日本史の先生も大変だったと思います。

それはそうでしょうね。学習院はもともと京都御所内にあったものをこちらに持ってきて、明治政府を肯定する側に立っているわけですから、江戸時代は否定して明治政府が成立しているので、教育をする方としては徳川を否定する立場だし、でも、それが関係ないおひい様は悲しかったでしょうね。先生も確かにたいへんだったでしょう。

Twitterでも大受けでした

この記事については、約700件ちかくがツィートされていて、それを見るだけでも楽しいです。

明治維新まで日本の支配者階級の人たちが、今はそういうものがなくて一般人の中で生活しながらも、昔の風習も代々引き継いでいるというのは、面白い感じがしました。良記事。