2016/06/12
昨日の軍師官兵衛ー小寺はまだか
昨日の軍師官兵衛では、ストーリーの展開的に司馬遼太郎さんの播磨灘物語とこのドラマの脚本家である前川さんの歴史に対する理解の差と言うかシナリオ力の差が出たという印象でした。
昨日の軍師官兵衛では鶴ちゃん演じる小寺のお殿様が、官兵衛が秀吉にべったりなのでヤキモチを焼いたという展開と、官兵衛が秀吉から義兄弟の契りで有頂天になってしまっているという展開の二つが取り上げられていましたが、このあたりの展開がいまいちというか稚拙でした。
歴史的な常識でいうと、一番重要だったのは官兵衛の居城である姫路城を明け渡すということで、それがあっさり済ませてしまったということに僕はかなり不満を感じました。
この展開を司馬さんはどういう描写をしているのか、少し長くなりますが引用します。播磨灘物語の2巻に書かれていることを引用しますね。
官兵衛は先に立って登りつつ、ふと立ちどまった。
「この城を、差しあげましょう」
といったのである。
秀吉も立ちどまった。表情に、驚きが包みおおせずに露れている。
「官兵衛、いま何といった」
秀吉は驚きの表情をかくすために、足もとのつわぶきの茎を折り、汁を嗅ぐしぐさをした。
中略
異常なことといわねばならない。武将にとって城は自分の組織を肉体化したものというべきであり、敵が攻めてくればそれを死守するというのに、それをひとに遣るという。城を出た軍勢というのは、拠るべき場所を失うだけに、防御力においては放浪の集団にひとしい。
中略
(官兵衛は)「貸すのではござらぬ」
差しあげるのだと、いった。織田家の播州平定で中国入りの橋頭堡とせよ、ということである。
「どのあたりを」
秀吉は見あげながら、さらにきくと、官兵衛はこの城ぜんぶでござる、といった。
(大変な男に出遭ってしまった)
秀吉はおもわざるをえない。
この司馬さんの描写のしかたの方が昨日よりもずっといい。つまり、城を譲るというものが武将にとってどれだけのことなのかということを、丁寧に演出したほうが良かったと思うのです。
それと小寺藤兵衛が嫉妬したというところについても、そんな単純じゃないと思うのです。子どもじゃないわけですから。というのは、官兵衛が秀吉に姫路城を明け渡してしまったということについての藤兵衛の心理状態をもう少し丁寧に描くべきだったと思うのです。
司馬さんの播磨灘物語では次のように藤兵衛の心理状態を描いてます。
老藤兵衛は、なにか、不愉快である。
中略
(姫路の心を疑うわけにはいかない)
若い官兵衛にしても・・・
(いい奴ではあるが。・・・すこしやり過ぎることをのぞいては、あれは忠義者といわねばなるまい)
だから藤兵衛は体の中を渦巻いているこのえたいの知れぬ感情の排け口がなく、戸惑っている。
元来、姫路城とその所領は、小寺氏の所有であった。かつては城代をあの城に籠めておいたのだが、藤兵衛が黒田氏の声望の高いのを評価し、あの城と所領をあたえ、小寺氏の筆頭家老にした。
ところが、このたび官兵衛が、城を信長の代官の羽柴秀吉に呉れてしまったのである。そういう自儘がゆるされてよいものか。
という感じで、僕もこちらのほうが全体的にマッチしていると思うのですが、なにか昨日は官兵衛にせよ、藤兵衛にせよ、子供っぽさが目立って、イマイチという印象。
これは軍師官兵衛が始まってからですが、創作的なところがこのドラマには目立つし、歴史的な解釈も表面的なところばかりで、それほど重要じゃないところに司馬さんのコピーが見え隠れするのです。今後歴史的なイベントがものすごく多くなってくるので、そのあたりを上手に描写して欲しいと思います。