2016/06/110 Shares

高円宮典子様と千家国麿氏のご婚約で古代史のことを考えてみた

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おそらくNHKが一番早かったと思うのですが、高円宮典子様と出雲大社神職千家国麿氏の婚約が決まり、大和王朝と出雲王朝の和解か!!と僕一人で大騒ぎをしてしまいましたが、色々と調べてみると違うようです。


色々な学説があったりするんですが、僕の一番の身近な司馬遼太郎さんの「街道をゆく 余話」に収録されている「生きている出雲王朝」というコラムに書かれていることから見ると、日本には神話の時代において、大和王朝と出雲王朝の2つの王朝があり、おもいっきり端折ってしまうと

1.大和王朝の天孫民族が出雲を進行し、大国主命が降伏した
2.天孫民族が出雲の進駐軍司令官として天穂日命を派遣し、天穂日命は大庭神社(現在の神魂神社)に駐屯した

3.出雲に天孫民族の軍政を敷いたものの、大国主命の出雲での求心力が高いということもあり、業を煮やした天孫民族は大国主命に対し、「汝、応に天日隅宮に住むべし」と断罪をくだした。この場合の天日隅宮は出雲大社であり、ここで大国主命は「現人神」となりました。

4.天孫民族から派遣されている天穂日命は、現人神を祀る出雲大社の宮司になることを命ぜられる

5.天穂日命は出雲大社の斎主になることにより出雲民族を慰撫し、祭神大国主命の代行者という立場で出雲における占領統治を正当化しました。

6.この天穂日命の子孫が代々国造として出雲を統治し、同時に連綿として出雲大社の斎主として神事を司っているという形態をとりました。

7.この天穂日命の子孫は具体的には、千家氏であり、今回高円宮典子様と婚約をした千家国麿氏は、その末裔であるということになります。

以上のことから、神話の時代において対立をした大和王朝と出雲王朝のそれぞれの王朝の末裔が、今回婚約をしたということではありません。

この出雲王朝への大和王朝の対応と言うのは、時代的には明治維新によって新政府が琉球王朝に対して琉球処分を行った時と酷似していて、上記の場合も天孫民族が出雲王朝に侵攻して、大国主命に対して国を譲れと迫り、出雲王は政治には永久にタッチしないと約束させられ、出雲の王族は奈良県の三輪山のそばへ移住させられたという伝えがあります。

それでも、皇室と出雲大社の結婚と言うのは、不敬なことかもしれないけれども、歴史ファンとしては実にロマンを感じてしまうのです。

ちなみに、司馬さんのこのコラムは実によく書かれてあって、司馬さんの新聞社時代の先輩が実は出雲大社におけるカタリベであり、出雲大社における秘事を代々伝えている、しかも従来は出雲にはいないと思われていた大国主命の末裔であるという、実に不思議な状況なのです。

司馬 遼太郎 朝日新聞社 2007-10-10