2016/06/10
本能寺の変の真相に迫る資料が発見されました
本能寺の変には色々な諸説があり、その内、四国説というものがあり、それを証拠立てる史料が先月発見され、その詳細が日経の記事になっています。周辺情報を整理してみました。
史料の内容
このニュースは先月日経新聞でも報道されていて、
内容としては、四国を自力で制圧した長宗我部元親が、明智光秀の家老である斉藤利三に対して、
「阿波(現在の徳島県)の一部からはご意向に従って撤退したことを信長殿に伝えてほしい。ただ、土佐(現在の高知県)の入り口にあたる海部と大西の城は手放せない。長年、粉骨して尽くしてきたのに納得いかないが、信長殿の甲州(現在の山梨県)平定後には、その指示に従いたい」
というもので、戦国大名の辛さの心情が吐露されているものです。
このことがどうして光秀の反乱とつながるのかというと、
- もともと信長は長宗我部元親の四国支配は黙認していた
- ところが信長が自分の天下統一構想から外れるので撤回し、元親が従わなければ征伐するという方針に変換
- 長宗我部元親の申次(担当官)である明智光秀のメンツが丸つぶれになった
というものです。
実際に織田家では長宗我部元親征伐軍をすでに用意をしていて、軍の出陣は6月2日と決まっており、まさにその日に本能寺の変が勃発したことで、四国征伐も中止となり…というものです。
四国問題が本能寺の変の原因だろうか
この辺り、光秀の心情を考えると難しいところがあって、光秀自身が日本史においてもトップクラスの人材であり、しかも人間的にも温和で教養の高かった人が四国征伐が原因で本能寺の変を起こすだろうかと思うのです。
つまり、光秀がそこまで大それたことをした場合に
- 織田家の同僚から仇討の対象になる→実際にそうなった
- 主殺しの悪名を着る→これも江戸期を通じて光秀は悪人の代表とされた
ということを歴史的な教養もある光秀はわかっていたはずで、僕としては考えにくい。
司馬史観によると本能寺の変は追い込まれた光秀の突発的な行動であったというもので、当時は四国の問題もそうだけれども、丹波の領土を信長から取り上げられて、毛利を攻略したらその土地をやろうというもので、相当追い込まれていた中での蹶起だったというもので、僕もそういう見方です。
こちらの記事がどれだけ読まれているのかというと、今朝の日経新聞のランキングでも
5位ということで、結構読まれています。
この記事に対するツィートのご紹介
また、この記事に対するツィートも、
光秀の直接の動機がやたら言われるけど、朝廷の権威根こそぎ剥奪計ったり、僧侶や信徒、門前町でのジェノサイドだったり、和睦条件をひっくり返して敵将を処刑したりとか、暗殺の原因だらけの人だからね。 / “光秀謀反の理由、「四国説」補強す…” http://t.co/oIxUP7tnLs
— u-chan (@u_chan_) 2014, 7月 22
僕のこの人の言っていることがすごく正しいと思っていて、当時の信長のやっていることは、それこそカンボジアのポル・ポトと変わらない。自分の方針に従わなければ殺す。その殺すというレベルが凄すぎちゃって、歴史上で一個人の指令で自国民をこれだけ殺した人というのはいないんじゃないかと思います。
「軍師官兵衛」も、いまこのタイミング。 | 光秀謀反の理由、「四国説」補強する一級史料 http://t.co/G6IKwNhqbO
— 佐藤琢也 (@takuyasatovalue) 2014, 7月 22
確かにその通りで、軍師官兵衛は7月20日に本能寺の変が羽柴軍に伝わった後、その後の交渉事を繰り広げられましたが、高視聴率をあげてます。
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∨字回復の「軍師官兵衛」第29話で最高更新 19・4%
スポーツニッポン–21 時間前「V6」の岡田准一(33)主演のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」(日曜後8・00)の第29回が20日に放送され、平均視聴率が19・4%(関東地区、 … 豊臣秀吉の軍師として戦国時代から江戸時代前期にかけて活躍した黒田官兵衛の人生を描く。
光秀謀反の理由、「四国説」補強する一級史料 http://t.co/ycJFZ3k7XB俺も薄々そんなんじゃないかと思ってたよ…。というのはウソで今日の日経で初めて知りました。 #nikkei #nhk #軍師官兵衛 #tokushima
— Hiroshi MURAKAMI (@HiroRainmaker) 2014, 7月 22
こういうおちゃめな人もいますね笑
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