2016/06/10
新選組と西本願寺とのやりとりを記した文書が発見という朝日新聞の記事 西本願寺は新選組に迷惑をしていたそうです笑
今朝の朝日新聞の記事で「新選組駐屯、迷惑でした 西本願寺の文書見つかる」という記事が掲載されていました。新選組が京都で活躍した時代は1865年前後ですから、約150年前のやりとりが残っているというのも、改めて歴史は面白いと思いました。
京都の本願寺は東本願寺と西本願寺があり、東本願寺は江戸時代において幕府寄り、西本願寺は長州寄りという立ち位置で、幕府が西本願寺に新選組を駐屯させたのは、長州とのやりとりを監視させるという目的があったものと推測されます。記事によると、新選組が駐屯した時期は、1864年3月〜1867年6月の間ということですから、池田屋事件や蛤御門の変があったのは1864年の夏なので、新選組が組織として最も力のある時です。
西本願寺と新選組との「大人」のやりとり
面白いのは、西本願寺側がとにかく新選組を刺激させないように配慮しているところです。それは新選組のバックには会津藩や幕府がいますから、そのあたりは大人の配慮をしたんでしょうね。例えば
移転前日の記事では、隊士への不作法は寺側の不行き届きとなるので「諸事温順ヲ主(むね)とし、強慢不遜之振舞(ごうまんふそんのふるまい)無之様(これなきよう)」(何事も穏やかに対応し、傲慢〈ごうまん〉な振る舞いの無いように)と寺侍(てらざむらい)ら家臣に注意を促したり、当時の広如(こうにょ)宗主の外出経路を北集会所から遠い南側の門へ変更したりする記述があった。
というように、とにかく当たり障りなく、新選組に対して過剰なほど配慮をしていることがわかります。怒らせたら怖いですからね。
また当時泣く子も黙ると言われた新選組副長土方歳三が実務者として新選組隊士が駐屯する北集会場が手狭で、且つ酷暑のため病人が出ているので、配慮して欲しい旨を丁寧な依頼があり、それに対応した西本願寺に対して礼状が届いているという文書もあり、土方がただの鬼武者ではないということがわかり、土方好きのファンとしては興味深いです。
65年6月22日(6月25日の誤記)の記事によると、北集会所が1畳に1人が寝るほど手狭で、「炎暑之時節、誠々以凌兼(まことにまことにもってしのぎかね)」(炎暑に本当に本当に耐えかね)、病人も出ているとして、土方から南隣の阿弥陀堂の一角を「無体成願(むたいなるねがい)」(無理なお願い)だが拝借したいと訴えがあった。寺側は北集会所の板敷きの部分に畳を敷くなどの工事に翌日から取りかかると返答し、6月25日の項に「惟亦忝仕合(これまたかたじけなきしあわせ)」とする土方からの礼状が書き写されていた。
この記事には結構多くのツィートがされているので、チェックしてみました。
そうでしょうねwww見たいなぁ> 新選組駐屯、迷惑でした 西本願寺の文書見つかる – 朝日新聞デジタル http://t.co/AB0wkGqfZu
— か”ら夕口- (@G4R4TaR0) 2014, 9月 2
あとで詳細を書きますが、史料の一部は公開されることになってます。
興味深い:新選組駐屯、迷惑でした 西本願寺の文書見つかる – 朝日新聞デジタル http://t.co/eh6VXM8CyQ
— ごろ寝好き (@misomios965) 2014, 9月 2
この記事は、朝日だけでなく、産経、毎日も掲載しているので、ご紹介します。
産経:あの“鬼の新選組副長”土方歳三も部下の待遇改善に腐心、西本願寺の日記から「硬軟織り交ぜた巧みな交渉術、一級の資料」と識者
毎日:新選組:待遇改善を直談判した土方歳三 西本願寺から文書
この新選組が駐屯していた西本願寺北集会場は、現在の場所はというと、幕末トラベラーズによるとこちら。
ただ、朝日新聞によると北集会場は今はなく、兵庫県姫路市の亀山本徳寺に移築されているとのこと。早速調べてみると、確かに移築されていて、このお寺は黒田官兵衛とも関係があると言うことが、こちらでわかります。こちらの記事によると、
創建当時の本堂は焼失。その後1873年、京都の西本願寺より北集会所を譲り受け、移築されたものが現在の本堂となっています。移築前の北集会所は、新選組が京都の屯所(とんしょ)として使用したもので、今も北の柱には新撰組がつけた2本の刀傷が残っています。
というもので、
Twitterでも感激のツィートがあるので、ご紹介します。
亀山本徳寺は西本願寺にあった北集会場を移築したものです。即ち新選組が屯所としてた建物。ずっと行きたいと思ってたので感激でしたー!ヽ(。>▽<。)ノ pic.twitter.com/43EW3nmkJH
— あやの (@Kanesada_Ayano) 2014, 5月 16
やっと亀山本徳寺来れた。西本願寺より移築された新選組屯所が本堂として現存 (@ 亀山御坊本徳寺) http://t.co/QwoNqtJr8n pic.twitter.com/M2l9K9V2uU
— 葵@ロボロボ29.31.1 (@aoimong) 2014, 2月 16
確かに刀傷がありますね。すごい^^
この亀山本徳寺はこちらにあります。
亀山駅から近いからいいですよね。これらの文書は11月11日に築地本願寺、12月12日西本願寺聞法会館で開かれる公開講座で公開されるとのことで、こちらもそれぞれ調べてみたけれども、今のところアナウンスされていませんでした。いずれにせよ、こういう歴史に埋もれている文書が発掘されるというのが素晴らしいと思います。