2016/06/100 Shares

花子とアンもあと2週間で終わりです。それに合わせてメモリアルブックも発売されました!

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連続テレビ小説「花子とアン」も、あと2週間で終わりになりますね。Amazonからもお金払って〜というメールが来ましたので、早々にお支払いを済ませました。この表紙の吉高さん、良い表情ですね。

Contents

先週の花子とアンはある意味見れなくてよかった

先週は日本にいなくて、花子とアンが見れなかったのですが、時代的な状況においては、日本が戦争を始めて、結局劣勢になったことで、日本の制空権がなくなってしまい、アメリカのB29の空襲にあうというシーンは、僕としても心が痛むシーンだったので、見れなくてよかったです。

仲間由紀恵の蓮子の演技が本当に素晴らしい

今日の11時からはNHKでダイジェスト版を見ましたが、心を打たれたのは、母としての蓮子が息子が純平の一時休暇で帰宅した時に、出来うる限りのごちそうを用意したシーンですね。母の息子への愛情を見事に表現をしていた、仲間由紀恵という女優は本当にすごい。

実際に蓮子の息子は、現実的に言うと戦死をします。その戦死を白蓮は心底悲しんだということがわかっているので、僕は見てて悲しかったですね、本当に。その事は先日発売された文藝春秋8月号に白蓮の旦那さん宮崎龍一の手記に以下のことが記載されています。

文藝春秋 2014年 08月号 [雑誌]
文藝春秋 (2014-07-10)

 

燁子はこの香織の死は非常に悲しみました。燁子がそれまで抑圧された暗い人生をふり捨て、新しい生活にとびこんですぐ生まれた子だけに、自分のすべてを注ぎこむようにして育てた子でした。香織の存在は、燁子の苦難にみちた人生そのもののような気がしていたのでしょう。だから香織の死は耐えられない悲しみだったのです。

香織という人を白蓮が出産するにあたっては、それこそこの二人には色々なことがあったし、香織を白蓮が身ごもったことで、白蓮は伊藤家から出奔する決意を固めるし、出奔後柳原家に幽閉されてしまい、その時に男の子が生まれるか女の子が生まれるかわからないから、どちらが生まれてもいいように命名しようということで香織という名前したという因縁があります。

だからこそ、龍一が語るように
自分の人生を注ぎこむように育てた
というのは、すごく気持ちが伝わりますし、さらに龍一が白蓮に対してどれだけおもいやりのあった人物であったというのがわかるのは、白蓮が亡くなった時は、遺骨を長男の骨と一緒に収めたということで、それに対しても以下のように龍一は語っています。

燁子の骨は相模湖の裏側の石老山にある顕鏡寺という寺に収めました。小さな山寺ですが、見晴らしのいいところです。燁子が心から可愛がっていた香織(戦死した長男)の骨と一緒に納めました。その寺のお坊さんと、「極楽へ行く道も一人で行くんじゃなくて、最愛の息子と二人連れだから、まあ淋しくないだろう」と話したことでした。

僕なんかは、この龍一の言葉を読むだけで、泣けてきてしまいます。そう思うと、ドラマでどうして純平なんて単純な名前にしてしまったのかと思うと、本当にもったいない。

来週からは戦争もおわり、それぞれの人生が歩み出すのでしょうけれども、やっぱり「おひさま」でも「ごちそうさん」でも、戦争の描写は見ててしんどい。特に僕の親の世代はこの時代が最も華やかであるはずの青春が、結局戦争に踏みにじられてしまったことを思うと、胸が痛みます。もし、出来ることならば、亡くなった母や父からこの時はどうだったのか聞いてみたい。