2016/06/090 Shares

大河ドラマの軍師官兵衛はここに来てものすごく面白くなってきましたー狂気の秀吉を竹中直人が上手に演じている件

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以前は、軍師官兵衛は凄くつまらないということは、さんざんこのブログで書いてきたのですが、秀吉が天下を取るようになってきたところから、いきなり、ドラマの展開が面白くなってきました。

秀吉が天下取りを取る前後から面白くなっている要因というものを考えてみたのですが、
狂気の秀吉を竹中直人がものすごく上手に演じているということだと思うのです。

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狂気の秀吉を竹中直人がものすごく上手に演じているということ

 

正直言って竹中直人の演技は、暑苦しいというか、くどさがあって、見てて凄く嫌悪感を感じるんですけれども、確かに天下を取って人が変わってしまって、どちらかと言えば痴呆症のようになってしまった秀吉を演じるのはいいのかなと最近思うようになりました。

彼の今回の秀吉の演技で僕はどういう演技をするのか特に注目をしていたのですが、一番好きなのは、本能寺の変が起こって信長が死んでしまったという連絡を官兵衛が秀吉に伝えた時の驚愕して、号泣するシーンは竹中直人の演技に対する想像力がよく現れていて、とても良かったです。

このシーンは脚本家は司馬遼太郎さんの「播磨灘物語」を絶対に参考にしていると思うのですが、そのシーンを引用します。

官兵衛は、だまって長谷川宗仁の書簡をさしだした。秀吉は読んだ。
顔をあげたときの秀吉は、熔けた鉛でも飲んだように目も鼻も口もへし潰れたような表情をし、息を忘れているようであった。その評定がさらに崩れ、顔をあげたまま泣きだした。
中略
秀吉の萎れようはひどく、今後そうするかという思案がうかばないらしい。秀吉にとって信長は格別の存在であった。

司馬さんの「熔けた鉛でも飲んだように目も鼻も口もへし潰れたような表情」というのは、うまい表現だと思うんですけれども、この辺りはテレビでも秀吉を見事に演じている。

天下を統一前後の秀吉はまるで別人格

秀吉の生涯を振り返ってみると、天下を統一するまでと、その後の短い人生は全く違いますね。天下を統一するまでは、織田家の一武将としてその才覚でのし上がり、たまたま本能寺の変があり、そこでチャンスを掴んで、一気に上り詰めていったところはさすがという感じで、僕もこの頃の秀吉は、本当に英気溌剌としていて、「英雄」と呼ぶにふさわしいと思います。

大義名分なしに朝鮮出兵をしたこと

ところが、その後天下を取ると、傍若無人の振る舞い目につくし、政治的に優れた実績は、太閤検地と刀狩りくらいなもので、その後は老人性痴呆症的な振る舞いが多い。例えば昨日秀吉が明を攻めるということで朝鮮を侵略しようとしました。まあ、元寇の時に元軍の一員として朝鮮が日本に攻めてきたと言うことがあるにしても、日本が朝鮮を攻めたということは大義名分がないということもあり、日本軍はベトナム戦争の時にアメリカ軍のように、士気は停滞しました。

無駄な建築

後は建築道楽。大阪城を築城した以外に、聚楽第、淀殿のための淀城、今回の朝鮮を出兵するための名護屋城など、秀吉の建築道楽は底なしの感があり、これはすべて秀吉のために建てられた建物ですが、費用の負担などは大名がすることになっているので、結局のそのつけはその大名の領民にしわ寄せがいきます。損をしないのは豊臣家だけということになります。

秀次一家の焚殺

また、軍師官兵衛の次回以降の話になるかと思いますが、秀吉は関白の後継を秀次にしますが、その直後秀頼が生まれてしまったために、色々とあり、最終的には秀次一族を三条河原で処刑し、秀次が関白として住んでいた聚楽第を壊してしまうというような、実に残忍な所業を行っています。

ですから、歴史的に見ると、信長に匹敵する残虐なことをやっているにもかかわらず、後世に秀吉が人気があるのは、天下取りまでの秀吉の人生が実に清々しく、のちの後継となった家康と比べて、人格的に明るかったことによるものだと司馬遼太郎さんはおっしゃっていますが、僕もその通りだと思います。

関ヶ原の官兵衛の対応が見ものです

今後ドラマの中心は、徳川家康と石田三成の対立になりますが、この二人の対立は、結局関ヶ原の合戦でお互いに雌雄を決するということになり、そこに黒田官兵衛が微妙に絡むのですが、そのあたりをどういう表現をするのかと思うと、今から楽しみです。

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