2016/06/09
貧乏性おじさんの京都観光(観光篇)
今回の京都の旅は11月23日しか利用できなかったので、まず何を見ようかということで凄く悩んだのですが、ここ数年運も悪いので、幸運になれるよう、神社めぐりをすることに決めました。でしたが、長時間歩いていると、望外の偶然な出会いがありました。
今回の神社を巡る旅としては
- 伏見稲荷でもったおもかる石が凄く重かったこともあり、事業を失敗したことの報告
- 体調が万全ではないので、あまり何箇所も見れない
- ランチや夕飯を東山周辺で取るので、その周辺
ということもあり、まずは行くところは
- 伏見稲荷大社
- 下鴨神社
- 八坂神社
を巡ることにしました。行動的には、
大阪空港→ホテルオークラ→伏見稲荷→下鴨神社→ランチ→八坂神社→祇園周辺を散歩→夕飯
という流れでしたが、前回の記事でもかいた通り15キロ歩きましたから、こんなところにこんなものがあるのか!というものを随所で見ることができたのは、この旅ならではでした。
Contents
京都ホテルオークラ
まずはおいしい朝食を食べたいと思ってまして、前日の蛍池で食べたお好み焼きがおいしくなかったということもあって、大阪空港からわざわざきました。ここから伏見稲荷に向かうためには、京阪電車で三条駅に向かっていると、素敵なものに巡り合えました。
まず京都ホテルオークラのレストランから見た鴨川です。この川は本当に風情があります。
京都ホテルオークラのロビーに行くと、きれいなクリスマスツリーがありました。早い。もうクリスマスです。
京都ホテルオークラの真横に桂小五郎の銅像があります。僕は竜馬よりもこの人のほうが好きです。
京阪の三条駅に向かうべく、高瀬川を渡ると、何やら石碑があるので、よく見ると加賀藩邸跡だということがわかり、早速ドキドキしてしまいました。
伏見稲荷
三条から伏見稲荷は20分ちょっとで到着しました。
意外と違いです。ここは僕が2007年に自分の会社を立ち上げた時以来なのですが、もう一度鳥居を見たいと思ってきました。今回は一番上までは行かなかったのですが、三の辻まで登ってダウンしました。今度来たら、上まで行こうと思いますね。
絵馬も狐です。
きつねうどん、売ってます^^
稲荷山中腹です。京都市内が見れます。
紅葉も有名スポットほどじゃないにしても、きれいに色づいてます。
ちょうど下山した時に、新嘗祭が始まったようでした。
動画を撮ってみました。
狐とは全く関係ないのですが、稲荷山中腹では2匹のにゃんこさんと巡り会いました。可愛い子でした。
下鴨神社
伏見稲荷では稲荷山の登山?が全く想定外だったので、ふらふらしながら下鴨神社にむかいました。さすがに紅葉はきれいでしたが、よく考えてみたら七五三にぶつかったということもあって、人が沢山いました。
この辺りで、12時過ぎていたので、ランチを食べるべく祇園に向かったのですが、どこに行ってもすごい長蛇の列になっていて、あのあたりをふらふらしながら、高台寺の方にいくと、波ご茶寮というお店を発見。ここでランチを食べました。
八坂神社
高台寺から八坂神社は意外と近いので、歩いて向かっていると、月真院があり、ここは御陵衛士屯所跡でした。
御陵衛士というのは、幕末に新選組から出て行った伊東甲子太郎をトップにした反幕勢力で、バックには薩摩藩がいたと言われてます。しかし、最終的にはトップの伊東甲子太郎は新選組の土方歳三らに暗殺されるという運命です。
この後、八坂神社に行きましたが、ここでも七五三で人がたくさんいて、いい加減萎えました。
祇園散策
とりあえず今回のミッションが片付きましたので、この時点で15時過ぎでした。祇園で舞妓さんを探しに行きましたが、結局会えずじまい。ただ、風景を見ているだけでも楽しかったです。
そろそろ夕飯に近い時間にもなり、また、歩きすぎということもあり、木屋町通りを四条から三条に向かって高瀬川沿いを歩いていると、色々な旧跡に巡りあい興奮をしました。
ずっと歩いていると、やや趣きのある橋があり、興味を持っていくと、この橋のふもとに
土佐藩邸跡の石碑を発見。
このあたりに土佐藩邸があるということは、もともと長州藩邸後である京都ホテルオークラとここを坂本龍馬、高杉晋作、桂小五郎、中岡慎太郎、武市半平太、久坂玄瑞といった錚々たる人たちが往来したんだなあと思ったりしました。
少し北上すると、高瀬川の紅葉がカラフルになってきました。そのまま歩いていると、またもや看板が。
佐久間象山と大村益次郎が斬りつけられた場所が、やはりこの高瀬川沿いだったんですね。詳細は
佐久間象山 大村益次郎遭難の地(駒札)
木屋町通りを進み、御池通にぶつかるり、京都市役所方面に歩いて行くと、京都市役所の斜向にスギ薬局があり、その跡地がなんと「八重の桜」の山本覚馬・八重邸の跡地であることがわかりました。斜め向かいは長州藩邸だった京都ホテルオークラがあります。なんという皮肉なことか、驚いていしまいました。
さらには、ここは池田屋事件で亡くなった吉田稔麿の最期の地だそうです。当時は池田屋事件で幕府や新選組と格闘しているところを、吉田稔麿が死装束で格闘したことは竜馬がゆくにも書かれていますが、ものすごく優秀な人材だったそうで、生き残った品川弥二郎に言わせると、もし生きていたら総理大臣であったと言わしめた人物だそうです。僕も名前というか、池田屋事件で名前を知っていたので、ここに吉田の関係する場所に遭遇するとは夢にも思わなかったです。しかも、戊辰戦争で敵対した会津藩のエースであり、後に京都市役所で同じ長州藩の槇村正直の懐刀となる山本覚馬の家があるというのは、ちょっと驚きました。
今回の旅は、あまりにも運命が悪いので、神頼みをするために神社めぐりをしましたが、まさか旧幕の縁のある場所に偶然遭遇することが多くあり、楽しい旅となりました。