2015/09/270 Shares

文藝春秋新年号に掲載された高倉健さんの「病床で綴った最期の手記」に書かれていた3つのこと

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文藝春秋新年号新聞広告

昨日のニュースで先日83才でお亡くなりになった高倉健さんが文藝春秋に手記を書いていたという報道があり、今朝ほど早々に購入をしてきました。早速読んだのですが、健さんご自身の人生においては3つの大きな出来事があったことが記されていました。

Contents

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高倉健さんの手記の報道

まず、手記についてどういう報道をされているのか調べてみると、

  1. 高倉健さん:死の4日前に手記 人生振り返り静かな心境

    毎日新聞4 時間前
    11月に83歳で亡くなった俳優高倉健さんが、自身の戦後と映画人生を振り返った内容の原稿を死の4日前に完成させ … 手記は「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」という比叡山「大阿闍梨」の故酒井雄哉さんから贈られた言葉で …
    高倉健さんが「最期の手記
    沖縄タイムス10 時間前
    高倉健さんが病床で綴った”最期の手記”が、10日発売の月刊誌に掲載
    IRORIO(イロリオ) – 海外ニュース・国内ニュースで井戸端会議1 時間前

高倉健さんの手記を読んでみて

 

文藝春秋表紙

記事を読んでみると、この手記は高倉健さんが亡くなる4日前に完成をさせていたということです。僕はこの手記を読む前提として、高倉健さん自身が自分の中である覚悟をもってこの手記を書いたんだろうと思いながら、読んでみました。やはり、年齢的に80歳を越えるということは、不謹慎な事を敢えて書かせてもらうと、自分の生命というものが尽きるという意識をやはりもつのかなと今更ながら思うわけです。それは、僕の母も80歳を越えて一気に弱って逝ってしまったということもあったからです。

高倉健さんの手記に書かれていた3つのこと

この手記を読んでみると、まずは冒頭に「諸行無常」と書かれていて、

文藝春秋新年号高倉健手記01

この文章の最後には

文藝春秋新年号高倉健手記02

合掌で閉じられています。

この文章に使われている諸行無常と言うのは、平家物語で有名ですが、ウィキペディアで調べてみると

諸行無常(しょぎょうむじょう、sabbe-saMkhaaraa-aniccaa, सब्बे संखारा अफिच्चा)とは、仏教用語で、この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。

というもので、これはすべてのことに通じるもので、この手記も高倉健さんご自身が様々な出来事に遭遇して、その中で特に高倉健さんに強烈な記憶として残ったことが3つ書かれていました。詳細は実際の記事を読んでいただくとして、その3つの事柄について記載をしておくと、

  • 8月15日の終戦
  • 故天台宗北嶺行満大阿闍梨酒井雄哉さんとの出会い
  • 八甲田山

です。

8月15日の終戦

終戦に関しては、当時のあらゆる人々に大きな影響を与えてます。司馬遼太郎さんが、歴史小説を書くきっかけになったのは、この時の従軍経験だったし、アンパンマンもやなせたかしさんの強烈な体験に基づいたものです。高倉健さんにとっても1945年というのは、13歳の時。これから感受性が豊かになりはじめていた頃ですね。恐らく当時は大日本帝国は負けるわけがない。正義の戦いをしているんだから、戦争の行かないものは何かしら手伝えと言われて、信じて疑わない時に、まさかの降伏。子供心ながらかなり衝撃的だったように思いますね。特に当時は情報がないから、その中で絶対的なものが崩壊してしまうという現実にを目の当たりにした高倉健少年の心情を思うと、切なさを禁じえません。

故天台宗北嶺行満大阿闍梨酒井雄哉さんとの出会い

高倉健さんが大変な人気者になって、三日三晩徹夜というような殺人的なスケジュールをこなしていているときに

次第に空虚になっていく心身に魔が差したのが、それまで考えもしなかったテレビ番組の主演を受けることにした。
「お滝を受けてみたい。」僕がいうと、京都のスタッフの伝手で紹介を受けたのが、比叡山飯室谷長寿院だった。

ここで、酒井さんと出会い、酒井さんも高倉健さんの出会いを「あなたには幸せになる力がある」に不思議な出会いのことを書かれていると高倉健さんは書かれていました。

あなたには幸せになる力がある
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ちなみに酒井さんの著書はたくさんありまして、
amazon.co.jp>酒井雄哉

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大変な方だと思うのですが、高倉健さんにして酒井さんとの出会いがあったのは、運命的なものだったのかなという思いを持ちました。

八甲田山

八甲田山という映画は、昔映画のCMで「天は我々を見放した」というセリフが実に印象的で、映画の内容は日本陸軍が雪山の八甲田山での雪中行軍訓練中に遭難した八甲田山雪中行軍遭難事件が題材になっていて、実際の撮影も極寒の中大変苦難をともなったそうで、高倉健さんにおいても、3年この映画だけしか仕事を受けなかったために、自分の資産を切り売りしたということが書かれているし、この話はNHKか何かで僕も高倉健さんご自身の言葉として聞いたことがありましたが、やはり相当強烈な体験だったようです。それはそうだと思いますね。やはり、極寒の中で撮影、身銭を切ってまでの映画への集中。この辺りは、陳腐な表現になってしまいますが、ただ者じゃないと言うことに行き着くと思うのです。

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ツィッターで「高倉健 文藝春秋 手記」で検索をしてみる

ツィッターで「高倉健 文藝春秋 手記」で検索をしてみると、色々な声があり、面白かったです。一部をご紹介します。
https://twitter.com/yasunori10514/status/54244294022044057
本当にそうですね。よくこの時に高倉健さんの手記を依頼していたとつくづく思いましたね。


絶対に買う!という人々(僕も含めてですが…。)


僕も昨日のNHKのニュースでこの手記の話を聞き、朝一番で買ってきた口です^^

まとめ

今年は年末ぎりぎりになって、高倉健さんが亡くなりました。
日本の俳優という点において、オーラというか全く別格的な存在として高倉健という俳優がいて、お年を召しても昔とはかわらない。でも、この手記の冒頭にも書いてあるように世の中は「諸行無常」であり、高倉健さん自身にも大きな変化があり、結局逝ってしまいました。その4日前に手記を入手していたという文藝春秋は、ツィッターにもありましたけれども、改めてさすがという感じ。しかも、どういう記事を掲載するかは、発売前日までしっかり漏れないようにしていたというは、敬服しました。

また、改めて希代の俳優であった高倉健さんは、ある意味宗教心を秘めながら
「生きるのに必死だから」(手記より引用)
ひたすらもがいてきたことで、圧倒的な存在感を確立していったのかなと改めて思いました。合掌。

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