司馬遼太郎の「翔ぶが如く」は西南戦争を描いた隠れた名作と思う件
司馬遼太郎さんの「翔ぶが如く」は明治初年から明治10年西南戦争によって武士の時代が終焉を迎えるまでの作品で、主に明治維新の大原動力となった薩摩藩を人物を中心に描かれている長編作品ですが、薩摩士族以外にも有名どころの人物が出てきて面白いです。
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「翔ぶが如く」に出てくる歴史的な有名人
「翔ぶが如く」では、明治初年から明治10年までのことが書かれていますので、幕末に活躍した人がたくさん登場します。
薩摩藩
西郷隆盛、大久保利通、西郷従道、大山巌、島津久光、黒田清隆
幕府
徳川慶喜、勝海舟
長州
木戸孝允、大村益次郎、伊藤博文、山県有朋、前原一誠
土佐
板垣退助、後藤象二郎
肥前
大隈重信、江藤新平、副島種臣
公家
岩倉具視、三条実美
数えれば切りがないほどでして、とにかく有名な人達がたくさん登場しますので、それだけでも楽しいと思います。
征韓論での対立から政府が割れることに
翔ぶが如くでは、征韓論という議論が出てきて、これによって政府が真っ二つになり、その対立が深刻なものとなり、この対立が最後は西郷隆盛と大久保利通の対立になり、その対立が結局最後まで続くということになります。長期的な目で見ると、明治10年において維新の三傑と言われる、木戸孝允は病死、西郷隆盛は戦死、大久保利通は暗殺とあまりいい死に方をしておらず、彼らの死を次の世代である伊藤博文と山県有朋が継承していったという印象が強いです。
西南戦争の真相
西南戦争は、西郷隆盛が起こした反乱と教科書で習いましたが、実際には違いますし、この反乱が起きた原因というのは、新政府が西郷さんの暗殺を図ったためといいますが、その辺りの真相はよくわからないけれども、薩摩側や政府の一部は西郷暗殺が西南戦争の原因と信じていました。
この戦争は、当初は兵力の強い薩摩側が新政府を圧倒しましたが、薩摩側が西郷さんさえ動けば誰もが薩摩になびくという信仰のようなものしかなく、戦術戦略というものを全く無視をしたことで、たたきつぶされるように壊滅します。西南戦争が始まるときに、西郷さんはこの体をみなさんに差し上げますといって、本当に差し上げてしまった。
翔ぶが如くで描かれる西郷さんの不可解さ
聡明な西郷さんにすれば、大久保利通が率いる政府が負ける戦争をするわけがなく、兵力が弱い新政府はあらゆる手段を講じて、この戦いに勝つ工夫をするだろういうことは十分わかっていたと思いますが、何も言わず身を薩軍に委ねてしまったところに、この西郷さんの哀しさや不可解さを強く感じます。
つまり、西郷さんが先頭に立てば、他県の不平武士が西郷側につき、その兵力で明治政府を圧倒するという、薩摩郡の事実上のトップである桐野利秋の戦略が間違いであるということは西郷さんにはわかっていたはずだと思うのですが、何も言わずに西郷さんは自分の体を委ねてしまったところに、西郷さんのわかりにくさがあるのかなと思うのです。
結局、この西南戦争は、新政府が弱者が強者に勝つためにはどうしたらいいのかということをしっかり実行し、薩摩軍は自らを過信するとどうなるかということをみすみす実行したことで、新政府軍が日本最強の薩摩士族軍を完膚なきまでに叩き潰し、鎌倉時代から続いた武士の時代が終焉し、中央集権国家となります。
今から振り返ると、今放映している坂の上の雲ではありませんが、基本的に頑張った人は、それなりに努力が報われるという未来のある国家になったということを考えると、良かったのかなと思いはありますが、精神としての武士道が消滅してしまった倫理的なモノが無くなってしまったということにも何かしらの切なさを感じてしまうのです。
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