龍馬襲撃事件の幕府側の資料
あまり大きなニュースには成りませんでしたが、昨日江戸幕府側が龍馬を襲撃した時の資料が出てきました。
奉行所、誇る手柄とにじむ負い目 寺田屋事件報告文書
日本経済新聞
寺田屋事件に関する京都所司代への報告文書には手柄と負い目が入り交じった“実行役”の思いが生々しく表れている。 複数の偽名を使い分け活動していた坂本竜馬。しかし、奉行所は事件当日寺田屋にいたのが本人であることを把握。報告文書には「坂本龍馬所持至す款(= …
竜馬襲撃“実行役”思い、生々しく 奉行所報告文書
MSN産経ニュース
「寺田屋事件」で初めて見つかった幕府側の史料は、竜馬が左腕を切られて血を流し、逃げ込んだ材木屋の納屋に血に染まった小物入れなどが残っていた様子を詳しく記述。報告文書には、手柄と負い目が入り交じった“実行役”の思いが生々しく表れている。 …
竜馬襲撃の報告文書を発見 伏見奉行所、所司代あて
47NEWS
坂本竜馬が京都の旅館で伏見奉行所に襲撃された「寺田屋事件」で、竜馬がけがを負い逃走したことなどを記した京都所司代への報告文書が見つかり、高知県立坂本竜馬記念館が15日、発表した。 京都所司代は幕府の西国支配の中枢を担った重要機関の長官。 …
この事件は、坂本龍馬が、薩長同盟を締結したその晩に、幕府側から坂本龍馬がなにやら驚天動地なことをしでかすらしいという情報を得て、伏見の寺田屋に襲撃をしたというものです。
この事件は、結構劇的な事に結びついていて、寺田屋が伏見奉行側に囲まれているということを龍馬に伝えたのは、のちに龍馬の奥さんになるおりょうが裸で飛び出して、伝えたらしいです。このあと、一緒にいた三吉慎蔵と大変な逃亡劇になるのですが、なんとか薩摩藩邸に逃げて、龍馬は一命をとりとめます。
今回見つかった報告書にも、龍馬が薩摩藩邸に逃げ切っているということはよくわかっていて、ただ薩摩側が武装しているので追求できないということが報告書に書かれているらしく、臨場感があり、これはとても重要な資料の発見だと思います。
その後は、薩摩藩邸で龍馬は静養し、西郷隆盛の勧めでおりょうと二人で薩摩に行きます。これが日本で最初の新婚旅行と言われているのは有名な話です。
僕も前に京都に行ったときには、もちろん行ってきました。たまたま知り合いと一緒だったんだけど、ここに霊感がある人が行くと、色々と見たくないものが見えるそうですよ。
ま、龍馬が幕府に襲われる前に薩摩の有馬新七が寺田屋に籠ってクーデターを起こそうとした寺田屋事件というのがあって、その時に島津久光がそれを止めるべく、この寺田屋で壮絶な同じ藩士同士で斬り合いをしてるわけで、そういうことはきっとあるでしょうね。有馬も無念だったでしょうし。
寺田屋は、京阪電気鉄道の中書島駅から徒歩10分くらいかな。静かな街ですよ。