どうして戦争の総括が行われないのか
それでも、日本人は「戦争」を選んだ 朝日出版社 2009-07-29 |
朝から牧歌的なことを書きますが、どうして日本軍は太平洋戦争を起こしたのか、ふしぎでしょうがないのです。この本は、近代国家となった日本が体験した戦争について高校生向けに講義をした内容が書かれています。大変難しい本で、この内容をいくらエリート高校の生徒達も理解できないのではないのかと思ってしまいます。
僕個人は近代日本の分岐点は、なんといっても日露戦争にあると思います。
この戦争は、明治維新後30年ちょっとたったときの戦争ですが、司馬さんはこの時期の日本人ほど奇跡を演じた国民は世界史的にも見当たらないと書いてありますが、正しくそのとおりで、ペリーの恫喝で徳川幕府が開国せざるを得ず、結果的に日本国内はナショナリズムが台頭し、その勢力によって明治国家が成立をした。その点、明治国家は諸外国から侵略をされないように、当時農業国家であった日本を短期間でロシアと言う西洋の大国を打ち破るという快挙を成し遂げた。これは、最近の例で言えばベトナム戦争で結果的にアメリカがベトナムに敗北をするというのと酷似していると思います。
ところで話は変わりますが、日本の歴史で際立って天才だったのは織田信長だと思う。
今は、坂本龍馬が、龍馬伝をテレビでやっていると言うこともあってすごい人気ですが、信長の人気も相当なものです。それは戦国時代を終息するきっかけを作った革命家であるというところが濃厚だからですが、彼ほど多くの人を殺した人はいなくて、比叡山を焼き討ちしたというこれはもう敵対するものから見れば、魔王としかいいようのないことをしてるわけで、でも彼の偉大な業績が、そういう悪事をすっかり消しているし、歴史的な評価も高い。
信長の世の中にでるきっかけは、桶狭間の戦いで今川義元を少ない人数で圧倒的な大軍を打ち破ったことですが、信長の真骨頂はこの後の戦いにおいては、桶狭間方式で行わなかったことにあります。つまり、戦争で勝つ要件というのは、外交で相手を信用させ、戦うときは相手よりも多くの人数、多くの優秀な平気を用意して、結果的に戦う前に質量とも凌駕しておくということなのですが、信長の場合は桶狭間以降は常にオーソドックスな戦法で行ったというところに、彼の天才と言われる所以があります。
普通人間は、成功体験に執着してしまうケースが多い。あの時にああだったら、今回もあの方式で行こうというやりかたです。信長のすごいところは、桶狭間の成功体験に縛られず、その後の戦いにお良ては一切桶狭間方式にとらわれなかったということです。
話を日露戦争に戻すと、日本の軍部は日露戦争の成功体験が大きく、特に陸戦の勝利は本当に薄氷を踏むようなモノだったのですが、結局その時の勝利の美酒の味が忘れられず、結局世界を相手に戦争をして滅亡をしてしまいました。ここが実は僕の最もわからないところで、石油問題でアメリカに日本が追い詰められたというところはあるにしても、知識など頭脳的な事に関しては日露戦争時の官僚よりも昭和の官僚の方が、ずっと優れているのにも関わらず、負けるという戦争を起こしたのは何故か。しかも、石油を供給するために満州国という傀儡国家を作り、結果的に満州からは石油が採れないということがわかると、何の関係もない国に侵攻するという暴挙をしたのはどうしてなのか。
イラク戦争は、イラクがクウェートを侵攻したことで始まった戦争でした。当時のフセイン大統領のやり方は批判されるべきものであり、自分勝手な都合で戦争を起こすことがどれだけ多くの国から反発を受けるかということです。それを60年前の日本が無謀にも行った。
母が生前太平洋戦争の話をしてくれたことがありますが、とにかく戦争批判は絶対に出来ないものすごく暗い時代だったようです。それでも、日本の最も優秀な人間が集まる陸軍大学校や海軍兵学校の卒業した人がどうして負けるとわかっている戦争を起こしたのは本当に不思議で、しかも公的な機関でそういう総括をしたのを未だに僕は聞いたことがない。
少なくともあの戦争で日本は原爆を落とされ、満州にいた日本人はシベリアに連れていかれ、本当に多くの日本人がなくなり、塗炭の苦しみをあじわった。落としたアメリカや非人道的な強制労働を課したソ連は戦争責任を追求されず、日本は敗者がいかに惨めであるのかということを身を持って知った。もちろん、この戦争の敗北が、のちの高度成長をもたらしたという見方があるけれども、戦争の犠牲になった人の事を考えると、このあたりはものすごく微妙なところではあります。
去年かな、NHKで「海軍反省会」という番組をやったことがあります。この番組は海軍OBが秘密会のような形で集まって、戦争の反省を言い合うのですが、最終的に攻撃されるのは、参謀だった人。作戦を司った人が攻撃されます。それは例えば神風特攻隊のように、兵士が国に死を強制されるという、武士の時代にもなかったようなことが行われて、作戦も何もあったものじゃないわけです。
しかし、その参謀の人達というのは、いわゆる選ばれた人たちであり、その選ばれて自他共に認めるほど優秀な人がどうして作戦にもならないことを立案したのか、これは本当にわからない。
ただ、思うのは、官僚国家になると、官僚は自分たちの勝手な国を作ろうとしますね。それは日本だけじゃなくて、中国だって日清戦争に負けたのは、清国という国が硬直しきった官僚国家だったわけで、日本も軍事国家と言っても、軍事官僚が好き勝手なことをしたわけで、司馬さんによれば、国民が軍事官僚に支配された異様な国だったと言ってます。実際に司馬さんが少尉か何かだったときに上官に本土決戦となった場合に、避難民が道路を埋めると思うが、その場合戦車隊はどうしたらいいですか?と聞いたときに、轢き殺せとその上官は言い、司馬さんは、自分の国の国民を殺せという上官にこいつは人間かと思ったそうです。
ま、一事が万事こんな状況だったわけですが、どうして、そんな国になったのかということがどの本を読んでもわからない。もちろん、この加藤先生の本を読んでも僕の疑問は解消されませんでした。