鳩山離党と坂本龍馬
昨日は、僕にとっても全く新しい一歩だったんだけれども、そんなある意味おめでたい一日であった一方、非常にふざけたニュースが入ってきた。鳩山邦夫が離党して、坂本龍馬になると言ったのだ。僕は、正直言って龍馬に対してはソフトバンクの孫社長ほど妄信的でもないし、どちらかと言うと覚めた味方をしてるけど、さすがに自分を龍馬と位置づける鳩山邦夫に対してはさすがに失笑してしまった。なので、今日はこのことに関して僕の考えを書こうと思う。っていうか思いっきり毒を吐こうと思います。
しかも、このおめでたい元大臣は、自分は坂本龍馬に連なるものだと明言し、軽薄でアホなスポーツマスコミも家系図を出してしまう始末。この国は本当に大丈夫なんだろうか。確かに、鳩山くんは総務大臣の時に自分の友達の知り合いがアルカイダだといって世間の度肝を抜きましたが。
日本史を振り返ると、歴史を変えた人は、もともとが裕福な出身だ。織田信長にしても織田家の総領息子だったし、長州の高杉晋作も上士の出身、龍馬にしても土佐では有数なお金持ちの出身だ。こういう点では鳩山くんも大変な大金持ちだから、彼らとは変わらない。ただ、根本的に違うのは、信長らは政敵から常に命を狙われたために、自分の命や仲間を守るために大変な苦労をしたと言うことと、少なくとも彼らは天才だったということだ。
邦夫くんは、評論家の佐野眞一さんによると大変頭のいい人だったらしい。家系とかには勉強が出来ると言うのは、その家のDNAと言うものがあるようですね。東大を卒業して、お母さんに目白におじさまのところで修行をしなさいということで、僕の大好きな田中角栄さんの秘書となり、その後政治家人生を歩んで行きます。つまり、社会生活というものを彼は一度も経験していないわけで、秘書としてそれなりに苦労をしているんでしょうけれども、それでも当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった田中さんの秘書になること自体が、普通の人では無理だったと思う。その後彼の政治家人生は、自分のわがままが通らないとアクションを起こす癖がある。
自民党が以前野党に転落したときに離党し、その後細川政権が崩壊後にできた羽田政権で労働大臣となり、その後新進党を離党した後、兄由紀夫と管さんと3人で民主党を結成、しかし、兄貴と管さんと仲が悪くなると、都知事選に出馬するも、石原に負け、その後民主党を離党して、自民党に復党した。自民党に復党すると、政治家人生としては結構日のあたる道を歩み、麻生政権では総務大臣となりますが、日本郵政の問題で更迭された。その時に彼は自分は正義の男だから、不実なことを見逃すわけにはいかないと言うようなことを言ったと記憶しているけれども、そもそも正義の男が自分のことを正義の男とは言わない。つまり、黙して語らずだ。で、今回離党と言うことになったけれども、今回も自分の長男が次の参議院選挙で公認されなかった事に不満をいだいていたという穿った見方もあるけれども、僕もそうだと思う。
邦夫くんは、歴史を曲解することが多い。以前も総務大臣を辞めるときに、自分を西南戦争を起こす時の西郷さんのように「政府に尋問之有」の心境だと言っていましたが、あの時の西南戦争での西郷さんの心境とは全く違う。「翔ぶが如く」を読めといいたい。
そして今回の龍馬発言。与謝野さんと舛添さんの間を取りもつために捨石になると言う。はっきり言って人間の格調が違いすぎて、イメージも湧かないのです。しかも、もしこの二人を取り持った後黒子として、恐らく政治資金の資金源としてそのグループを牛耳る意図が見え見えで、僕から見てそういう事がわかるのだから、他の人はもっとわかると思う。
龍馬の一番かっこいいところは、大政奉還が成立して新政府の人事案をまとめ、それを小松帯刀や西郷さんに見せたとき、西郷さんはあなたの名前がここにはないがどうするんだ?と聞いたときに、自分は新政府の役人になるつもりは毛頭ないよといい、西郷さんが役人にならないで何になるんだと聞き返すと、
「世界の海援隊でもします」
と言い、その席に同席していた陸奥宗光がその場面を終生語ったという、竜馬がゆくの大変な名場面があるのですが、こういう潔さがお前にはあるのかと言うことですね。Twitterでの#ryomadenではみんな笑ってました。恐らく日本中がそう思っていると思う。早く引退して欲しい。