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切ないこと

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先週から中学高校の同級生とやり取りをはじめて、今はインターネットとか携帯電話があるので、凄くコンタクトがとりやすくなった。彼らとやり取りをしていると、彼らと共有していた時間に逆戻りしてしまい、その時は辛かったことも懐かしさがそれを上回ってしまうというとても楽しい時間になる。

たまたま大学時代の親友に近況の連絡をしたら、そいつから返事があり、自分の身の回りにも大きな変化があったという連絡があり、そのメールを読み続けると彼のお父さんが借金問題で自殺したとのこと。僕はあまりにも衝撃を受けてしまい、とにかくお母さんがご健在であれば、大事にしてあげて欲しいとしか言えなかった。

僕らの親の年齢は、だいたい昭和一桁に生まれた人たち。だから80歳前後だと思うのですが、この年で自殺というのは、どれだけの絶望感、失望感だったのかと思うと気の毒というか切ないというかどういう表現をしていいのか、絶句としか言いようがないのです。

現実的なことを言えば、人間は80歳も過ぎれば天寿を全うする準備に入る時期で、僕の母親も去年81で召されてしまった。母の場合は病気でしたが、それでも自ら命を断つという能動的な死ではなく、受動的な死であり、本来死ぬということは、天が迎えに来るものだ。

それが僕の友人のお父さんは、自ら死を選んでしまったという、本人や残された家族のことを思うと胸が痛いし、なんども書くけど80歳近い老人が感じた絶望感、失望感を考えると、本当にかわいそうでかわいそうで仕方がない。

ま、今さらですが、ぼくだって世の中に絶望して、死にたいなと思ったことは何度もあります。ただ、実行をしようと思ったら、どういう痛みを感じるのか、どういう苦しさを感じるのか想像できない。それが出来ないということと、思ったよりは生きているということは楽しいし、やられたらやり返すという気持ちも常に持っているので、思いとどまっているところはなきにしもあらず。

先日も小学校6年生の女の子が、よりによってお母さんのマフラーで自殺するという事件があった。原因は学校でのいじめだそうですが、彼女の気持ちやマフラーの持ち主であるお母さん、恐らく最も彼女を愛していたであろうお父さんの心情は計り知れない。

僕自身の人生訓で悪いことは続かないというのがあるけど、そのまっただ中にはいっちゃうと、そういう冷静な気持ちでいられなくなってしまうものだよね。明日は我が身かもしれないなと思った次第でした。