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未来をつくる君たちへ

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司馬遼太郎さんの隠れた名著に「21世紀に生きる君たちへ」という本があります。これは司馬さんが小中学生に送ったメッセージで、僕自身、今まで読んだことがありません。なんで今日そのことを書こうとしたかというと、先日のNHKで「未来をつくる君たちへ」が放映されていて、歴史学者の山内昌之先生が鹿児島の中学に行き、幕末の英雄である西郷隆盛大久保利通について志や友情について語り合うもの。大変良く出来た番組で、こういう授業だったら僕も出たい。今更友情とか、何言ってんねんということは重々承知。でも、西郷と大久保の関係は奥が深いんだから。
西郷と大久保

西郷隆盛と大久保利通という人は、薩摩がうんだ大変な人物で、この二人を中心に書かれた司馬さんの小説で「翔ぶが如く」という名著があります。この翔ぶが如くは、西郷さんと大久保を中心に明治元年から西南戦争が集結し、大久保が暗殺される明治10年までのことが書かれていている。

この翔ぶが如くを読む限りは、西郷さんにつく薩摩の人と、大久保さんにつく薩摩人には大きな違いがあって、それは世界を直接見てきた人は大久保、そうじゃない人は西郷さんという感じ。ちなみに西郷派につく村田新八という人物が唯一世界を知っているとても視野の広い人で、もともと司馬さんもこの村田新八を主人公にしたかったようなのですが、あまりにも彼に関する文章がなかったであきらめざるを得なかったという後日談がありますし、あの勝海舟をして日本の総理になれる人物だと言わしめたほど人です。村田のすごいところは、西郷さんの考えが間違っていて、大久保さんが正しいと思っているのに、敢えて西郷さんのところにいくという人間模様というんでしょうか。司馬さんはこの部分を結構詳細に書いてます。

村田新八

で、それぞれの派閥についたメンバーとしては、大久保派には、メジャーなところで言えば、実弟の西郷従道、従兄弟でもある大山巌。この二人は幕末時に西郷さんの秘書役として働いた人物です。なお、西郷さんの写真はないのですが、今残っている絵とかは、この二人をモデルにして書いたと言われています。あとはのちの首相になる黒田清隆などがいます。なお、西郷従道は、日本の海軍を作った人だし、大山は日露戦争の陸軍の総司令官でもあります。

一方で西郷についた人たちにも魅力的な人はいて、桐野利秋、この人は幕末時に西郷さんの用心棒をした下級武士ですが、明治維新後陸軍少将になり、結果的に西南戦争は彼が起こします。僕はもの凄く好きな人で、いずれこのブログに記事を書きたい。あとは、永山弥一郎、村田新八などは、かなり大久保さん的な発想する人だったけど、情誼的に西郷さんについた人で、人間的には立派な感じがして、それぞれのチームともに、可も不可もないという感じです。

人気が高い西郷さん

いわゆる人気という面からすると、西郷隆盛が圧倒的です。それはその悲劇的な生涯が、我々愚民の共感を得ているから。もっと分かりやすく言えば、明治になってから身分制度がなくなり、今まで藩に養ってもらっていた武士は、藩が消滅することで失業状態になった。たまたま政府に出仕している人たちだけ、凄まじい給料と身分をもらっていて、それに対する反感がもの凄く高かったのですが、その反感を一身で受けてしまったのが、西郷さんだったということで、情の人と言われる所以です。

一方で大久保利通は人気がない。特に鹿児島県では本当にだめみたいです。まあ、これは時代が変わって故郷が西郷さん中心に反乱を起こしたら、攻めてきて西郷さんを殲滅しちゃったんですから、それは人気がでないわな。

評価が高い大久保

ただ、評価という点では大久保は西郷よりも上。客観的には大久保は、優秀な人材だったらどんな出自の人間でも採用したけれども、西郷さんはどちらかというと、鹿児島県出身のぼっけもんと言われる人たちしか重用しなかった。世間でいう「芋づる式」というのは、この西郷さんの人事のやり方からきてるといわれますね。

また、大久保は富国強兵というスローガンで近代国家を作っていきましたし、司馬さんによると大久保さんほど苦境に立った人間はいなく、それを自分の責任で打破してきたので、化け物的な強さがaあったと。一方で西郷さんは、ぎりぎりの段階で放り投げてしまうところがあったらしく、西郷さんが征韓論で負けて下野するときに、最後の挨拶を政敵になった大久保に挨拶に行くのですが、その時に大久保は、いつもおまえさんは無責任に放り投げてしまって、その尻拭いは自分がやらなければならないと激昂したそうです。

ただこの二人は、司馬さんの言葉を借りると、明治維新までは投手と捕手のバッテリーのように、案件ごとに自由自在に入れ替わり、藩を倒幕の方に進めていくコンビネーションは大変なもので、それは友情を超えたお互いの信頼感の上で成り立っていた。もっと具体的なことを言うと、明治維新までは西郷さんはどちらかというと、対外的な交渉を一手に引き受けて、大久保さんは薩摩藩内の調整や対朝廷のやりとりを担当し、それがものの見事にうまういったという観はあります。彼らの上に理解のある上司、小松帯刀がいたということも重要なポイントだ。

ところが、時代が変わり、大久保は外遊して世界を見てしまったことにより、日本を何とかしないといけないというリーダーの義務感が芽生え、一方で西郷さんは、明治維新という大仕事を終わらせたという虚脱感、自分はもう時代遅れではないのかという自覚があったようです。そこで征韓論で負けた西郷さんはすべてを投げ捨てて薩摩に帰ります。創作だと思いますが、僕の大好きな大河ドラマ「篤姫」では、西郷さんが篤姫のところに薩摩へ帰るための挨拶に赴く場面があって、その時に「小松さあがいればこんなことにならなかった」という場面があり、確かにそうだなと思いますね。

武士の時代の終焉

結局客観的には西郷と大久保の対立は、近代日本最大の内乱である西南戦争になり、大久保が率いる政府軍が完膚なきまでに西郷軍をたたき潰し、このことで明治政府の威権が確立し、武士の時代が終わった。

そういったことを中学生が山内先生から授業を受け、最初はほとんどが西郷さんびいきだった彼らが、この授業が終わった頃には大久保もすごい人だったんだと考え方に変わり始めたのは、見てて面白かった。

僕も一度こういう授業を受けてみたいです。

とにかくこの西南戦争で、親しいもの同士が戦いあうというとても切ないもので、そういった人間ドラマがもの凄くあって、それを司馬さんの素晴らしい筆力で読者はどんどん引き込まれるのです。