久しぶりに翔ぶが如くを読み始めた-当時の時代背景
坂の上の雲は、明治維新後30年ちょっとでロシアとの戦争という国家防衛の戦いについて書いた内容なんだけど、これは日本が近代国家の証となった歴史的な偉業だと思うのですが、そんな日本も近代国家としてスタートしたのは、実質的には明治10年以降になると僕は考えます。その答えが、この翔ぶが如くに書いてある。
この翔ぶが如くという本は、明治維新が成立し、明治10年に西南戦争で薩摩軍が徹底的に潰されて、武士の時代が終焉したことまでが書かれている本です。中心になるのは、西南戦争ですから、薩摩系ですね。司馬さんも薩摩という国を考えるために書いたと何かの本で読んだ記憶がある。
この本を読んでいると、明治政府は悲惨だ。何故悲惨かといえば、近代国家建設のために過去を否定していく作業が必要で、それは武士の否定でもあったわけです。ところが明治維新の革命の主体は武士であり、武士が武士を否定することでこの革命が前に進むのです。
例えば、廃藩置県や版籍奉還によって武士は職を失った。殿様は領地や家臣も取られてしまった。殿様にしてみれば、領地が没収されても、見返りがあったし、今までのように俸禄を家臣に上げなくてもいいので、経済的に楽になった。ところが、武士にしてみれば、実入りがなくなったし、廃刀令にによって武士のプライドまで奪われてしまった。
この本を読んでて思うのは、明治維新後政府が過去の否定をしているものですから、武士の反乱が堪えなかった。
- 佐賀の乱
- 秋月の乱
- 神風連の乱
- 萩の乱
- 西南戦争
有名どころだとこんな感じだけど、このうち、佐賀の乱は政府にいた江藤新平の反乱、萩の乱はこれもやはり政府にいた前原一誠の乱、西南戦争は西郷さん。といった身内の反乱が起こったのです。この身内の反乱というのは、結構深刻です。
また、この明治維新という革命は、政権交代という側面以上に権力の交代というところもあり、政府の官員にたまたまなった者には、前政権の殿様以上の権力を持ち、自らを「御前」と呼ばせていた物が多かったと言われますな。逆に西郷さんとか木戸さんとか大物にはそういうところは見られらなくて、そういう状況に対して、明治維新のために多くの人が亡くなり、彼らに対して本当に申し訳ないと心から思っていたようです。
他には、明治維新政府は、各藩から人を出させていて、微志といいますが、その人達の給料というのは、旧徳川領400万石から支払われたので、半端じゃなかったそうです。だから、世の中から見たら、こいつらにこんな裕福な生活をさせるために幕府を倒したんじゃないぞという声も大きくて、それに対して西郷さんや木戸さんは心を痛めていたらしい。
で、結局この革命のエネルギーを何かに転化しないといけないということで、ま、乱暴だけど征韓論というのが出てきて、海外を知ってるチームは、何いってんだと。そんなことをしたら、清国やイギリスが出てきて日本はやられちゃうよということで、日本は国論を二分してしまいます。この征韓論がきっかけとなり、西郷大久保の対立となり、それが結果的には、西南戦争につながっていくという流れです。
この西南戦争というのは、近代日本において最大の内乱になるのですが、戦いの勝敗は、薩摩軍が兵力が強いということと当時の西郷さんの存在ということを頼みすぎて、戦略戦術というものを全く考えずにやったために、自軍は弱いということを前提に用意周到に準備した政府軍に、圧倒されてしまい、最後は穴に逃げ込むというような状況になります。いかに戦略戦術を無視すると大変なことになるということですな。
また、この戦いは、政府軍にも薩摩の人はたくさんいたから、悲喜こもごもですよ。兄弟や親、親戚同士が戦ったりしますからね。結構切ない戦いだったりします。
ただ、この戦いの意義は大きくて、今までの武士の時代が薩軍の敗北によって終焉となり、日本は近代国家への道に進んでいき、このことで多くのチャンスがあたえられ、明治は希望の時代となります。それが坂の上の雲を心ある人は向かっていくということになるんだと思います。
坂の上の雲も色々な人物が出てきますが、人物の濃さという点では、翔ぶが如くの方が強烈。次回は、人物編を書こうと思います。