生きて行く私完読
ついに、僕の大好きな宇野千代さんの「生きて行く私」をついに読破した。この本を読んで思ったのは、宇野さんの長寿の秘訣がわかった感じ。もともと生まれながらというか、ヒトやモノを受け入れる器が極端にでかいということもあり、大変勉強になるご本でございました。
宇野さんは、1996年に亡くなっているので、すでにお亡くなりになってから15年になるわけですけど、本人の特性というか、生まれた時からというか、ストレス的なものを発散できるすべを持っていて、それが男に貢いだりとか、着物をデザインしたりとか、事業を展開したりとか、文章を書いたりとか、大変多彩なひとなんだと思います。
花咲婆さん
前にも書きましたが、4回結婚しているというは、明治生まれの人としてはかなり価値観が違うでしょうし、僕も一度離婚してるけど、二回目をなかなかしないのは、やっぱり3度結婚したくないということもありますよ。それを4回結婚して、4回とも破綻しているというのは、すごいなという感じです。
この本の最も重要なところは、宇野さんが花咲婆さんになりたいとおっしゃってるところだと思う。すごくいい文章なので、引用します。
私はもう、花咲婆さんになり切っている。私の抱えている笊(ざる)の中一ぱいに、「幸福」の花を詰め込んであるからだ。たったいいままで、枯れ枝のままであったかも知れないその木は、忽(たちま)ち、幸福の花が咲いて、眼も眩(まばゆい)いほどの花盛りになったからだ。
こんな幸せな人はいなくて、いまのこのストレス社会。ストレスで人の心がねじれてしまっているの見たりしていると、昭和の時代にこういう文章を書いている器の大きい人がいたのかと思うと、改めて宇野さんのスケールの大きさを感じざるを得ないのです。
瀬戸内さんの心づくし
この本では、僕の大好きな瀬戸内寂聴さんとのやりとりがあるんだけど、宇野さんが京都まで瀬戸内さんに会いに行く件で、瀬戸内さんの宇野さんへの接待が半端じゃないのです。とにかくこの二人は似たもの同士のようなところがあって、やることのスケールがデカすぎ。女の人を極めるとすごいね。
- まず京都駅に着くと改札に法衣を纏った瀬戸内さんが待ってる。
- 車の運転手に紅葉のいちばん綺麗なところを予めチェックし、そこを走らせる
- 部屋の畳を宇野さんのために替えちゃう
- お茶屋の女将さんと舞妓さんをよんでみんなでおいしい豆腐を食べる
- ホテルまで送ってもらい、おみやげまでもたせる
- 次の日、車を提供
- そのあと観光客も入れない尼寺へ瀬戸内さん自ら案内
- そして京都駅まで送ってもらう
いかにも瀬戸内さんらしい接待で、心づくしというのうは、こう言うことだと思う。ここまで過剰なサービスになると、粋というものを超えちゃうものなんだけど、瀬戸内さんのは、そんな感じがしないのです。ここは文章を読まないと理解しがたいところがあるんだけど、瀬戸内さんの客観的に見れば過剰なサービスが、宇野さんの文章で書かれると、そういういやらしさを感じないのです。
男が女の人を口説くときに、青山のレストランでご飯を食べて、そのあとシティホテルのメインバーで女の人を酔わせておいて、酔いを覚まさない?といって予め予約しておいた部屋に連れて行く、というような打算的なやり方とは真逆ですな。(こういうこと、10年以上やってませんなあ。っていうか、今でもこういう手法は通用するんだろうか??)
功成遂げた男と真逆の自伝
日本経済新聞で「私の履歴書」というコラムがありますよね。一時代を築いた人たちがご自分の過去を振り返って書く自伝ですが、政治家のそれって、結構ひどいのが多くて、どうひどいかというと、延々と自分の業績自慢が多いのです。読んでるこっちの方としては、彼の業績を知っているからこそ、それを成し遂げられた背景が知りたくて読んでいるのに、俺ってすごいだろ!というのがミエミエで、逆にそういうのって鼻につくし、結局自分をわざわざアピールをすることで、結局自分の人間の小ささをアピールしちゃってるんですよね。
その点、宇野さんは、さすがに作家なので、ご自分を客観視することができてるし、もともと人間のスケールがでかいので、自分をアピールする必要もなく、素のままで表現をされてる。僕も素直に文章を読むことができて、大変な力作が読めて、楽しい時間を過ごすことができた。名著です。今年一番かも。