毒舌仏教入門その2
司馬さんによると、「友情」というものは、輸入されたものだっていいます。つまり、武士の時代では、お殿様への忠誠心、いわゆる衆道と言われる同性愛が対人関係においてあったもので、友情は、日本が開国したあと欧米からはいってきたものだということだそうです。もちろん、例外はあって、戦国時代の石田三成と大谷吉継とか、明治で言えば大久保利通と西郷隆盛は大変お互い信頼していた。
中央が今和尚、左に川端康成 |
で、今和尚の本にも友情のことが書いてあって、ノーベル賞作家の川端康成と大親友だったそうです。今和尚も川端のことを男の中の男だと賞賛しています。それを表すエピソードとして、川端康成が新思潮という本を菊池寛から継承するときに、誰が参加するのかということを聞かれ、今東光も参加するということをいうと、菊池寛は今東光のような不良を仲間に入れることは何事だと。で、川端は菊池に対して今東光がいれられないんだったら、この話は無しでお願いしますと言ったので、菊池寛は、じゃあ、好きにしたまえということになった。その流れに対して、和尚は次のように語ってます。
そんな経緯をわたしは、後になって人から聞かされただけで、川端の口からまるきり聞いたこともない。あいつは、ついに死ぬまでわたしにヒトコトも話さなかった。それが本当の友だちというもんだろうけど、わたしはいい友人を持ったもんですよね。
と大変感謝している。これわかる、わかる。
それでも、この男らしい川端は自殺をした。それはどうしてかということについては、和尚さんは川端に信仰心が足りなかったからだと結論づけてます。
無宗教の僕がわからないのは、ここなんですよね。この話は第2章で書かれていることなんですが、第1章で仏法というのかよくわかりませんが、和尚さんは慈悲の心だって言ってます。また、面白い例として次のようなことを仰ってる。これはおもしろいので、そのまま引用するね。
わたしは帝塚山の女子短大なんかにもちょっと講義に行ったりしていて、大阪のお嬢さんたちとご飯を食べると、彼女たちはご飯をいただく前にかならずこうして拝んで食べる。食べ終わると、またこう合掌する。どこへ手を向けているのかわからないんだけども、しかしそういう習慣が家庭的についている。わたしはこれは、オール関西のひじょうによいところだと思うんです。
ね、すごくこの和尚さんは例えが分かりやすい。でも、信仰心があれば、なにかで行き詰まったときに自死を選ばないのかということが、この本を読んでもわからないといえばわからないけど、恐らく信仰をしていることで絶望をしないということなのかなと思ったりします。
それと、ほぉと思ったのはね、人間一人じゃ生きて行けないよということを和尚さんは力説してるんです。この和尚さん、座談の名人だから、今度はヨーロッパのアルプスはひとりでは越えられないということを例に話をしています。そんな山をフランスのナポレオンは、イタリア遠征の時に越えた。「若いフランスの兵士が互いに協力し合えばこの山も突破できるのだ」と言って、大砲まで担いでローマまで進軍してしまった。難攻不落のアルプスを大勢の力で制覇しちゃったと。
僕なんかは、33からずっと仕事に関してはひとりでやってきたし、このあたりは微妙だ。ひとりよりも大人数のほうがいいものができるのは分かるけど、それを受け入れる器が僕にはないな。それに一番味方になってほしい人間には裏切り続けられたしな。最近はそう言うのもなくなってきたけどね。
そんな感じで、この和尚さん、作家という極めてシングル的な職業をしながら、ひとりじゃだめよーということを力説されてます。それだけに説得力があるような気がするよ。