天才について
スティーブ・ジョブズが亡くなって、マスコミでもネットでも彼の語録が溢れてる。僕はここ数日日本橋の丸善にも行ってないので、よくわからないけど、なんとなく想像できるのはスティーブ・ジョブズの本のコーナーができてるんだろうなってことかな。
僕の友人が先日銀座のアップルストアを撮影してきて、この写真がそうなんだけど、企業の経営者でこういう惜しまれ方って見たことも聞いたこともない。それこそ三菱東京UFJ銀行の頭取が死んだら、丸の内の本店に写真や花束が置かれることって絶対にない。アメリカでも、ビル・ゲイツあたりが亡くなるとこんな感じになるかもしれないけど、GoogleのCEOがもし亡くなってもこういうのはない、と思う。
いみじくも僕の友人がジョブスは多くの人に愛されていたと言ってましたが、まさしくその通りで、アップルという会社が復活したことで多くの恩恵を僕は受けてるし、今更ですが安らかにお休みくださいと言いたい。
スティーブ・ジョブズが新商品のプレゼンテーションをする時は、それを見るために長蛇の列ができて、しかも彼がステージに登場するとロックコンサートのように、うわーって盛り上がるらしいね。アップル製品がエンタメというカテゴリーには入らないと思いますけど、一番近いというところだとソニーがプレステやデジカメ、VAIOの新製品をCEOがプレゼンするときに長蛇の列はできるだろうけど、ステージに出る時の異常な盛り上がり方はしない。
これは、スティーブ・ジョブズという人が天才という以外何者じゃないし、あんなにぼろぼろだったAppleをあそこまで持っていったというのは、なんて表現していいのかわからないくらいすごくて、やることなすことがあれだけ当たる人というのもなかなかいない。
ただ、天才だからできるということがあって、それを誤解しちゃうと取り返しの付かないことになると僕は思うよ。日本史で言うと、明治維新は坂本龍馬が薩摩と長州を取り持って薩長同盟が成立したことで、確実に日の目をみるようになるんだけど、これは龍馬が取り持ったからできたことで、これが他の人だったらおそらくできなかった。
というのは、幕府に対抗するには薩摩と長州が連合しないとダメって言うことは当時から言われていたことだったんだけど、そもそも薩摩と長州が犬猿の仲だったので、そんなことはできませんというのが当時の定説だった。それを龍馬だからこそ中に入る事ができたといってもいい。
また、戦国時代に戦いの手法で中入れというやり方があって、どういう方法かはここでは割愛しますけど、この方法は起死回生の戦法だけど、失敗すると味方が総崩れするという一か八かの時にしか使えないものだった。ただ、そういう戦法だったので、戦国武将はいつかやってみたいというものだったらしいのですが、織田信長以外の武将が成功した試しがなく、その信長自身も中入れという戦法を使ったのは生涯で数度だったらしい。つまり、この戦法は天才のみがなし得るものだということですな。
スティーブ・ジョブズの天才というレベルは僕は相当高いと思うんだけど、そのぶん我々との差はあまりにも大きい。彼がスピーチで自分の感性を信じろということを言ってましたけど、それは彼だから言えることであって、僕らのように一般の小市民がスティーブ・ジョブズの真似をしたら、間違いなく痛い目に遭うと思うよ。
悲しいのは、年をとるとこれはやめたほうがいいということがよく分かることなんですよね。僕は随分今まで無謀な挑戦をしてきて、どれも失敗してしまったのは、分不相応なことをしようとしたからだと思うし。本来だったら、この人を目標に向かって頑張って!と言いたいところですが、これは野球をやってない人にイチローのようになりなさいというのと一緒で、無理。
しかもアップルという会社は、ライフスタイルを変えちゃってるというイノベーションを起こしちゃってるわけで、そういうことは安々とできることではありません。なので、我々小市民は、自分の身の丈にあった事をやりましょうということだし、できないことをやっても無駄だよという実に大人らしい結論に至るのでした。
ちなみに龍馬のことも信長のこともそうだけど、ふたりとも日本史的レベルの天才なので、憧れるのは結構ですが、真似をしてもうまくいきません。ジョブスと一緒です。