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坂の上雲を楽しむためにー明石元二郎と児玉源太郎

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NHKの坂の上の雲も、佳境に入ってきているけど、このドラマを楽しむためにこういうことを知ってるほうがいいなと僕が思うことを今回は書きます。以前、日露戦争は人材力の差で日本がかろうじて勝利したという記事を書きました。つまり国力の劣勢を、なんとか人材力でカバーしたということです。

このあたりをもう少し深く見てみると、当時ロシアは、帝政なので、皇帝が憲法みたいなもので、皇帝に気に入られないと要職につけないという、独裁国家の弊害がおもいっきり出ていました。つまり、皇帝の周りには太鼓持ちしかいないという状況になってしまいました。

伊藤博文

一方で日本の場合は、近代化して30数年という新しい国家であり、しかも上層部、この場合伊藤博文、山県有朋、井上馨、大山巌、西郷従道という人たちは、ちょんまげを結って西郷隆盛や大久保利通、木戸孝允といった明治維新の元勲の手足となって、明治維新成立のために奔走した人たちでしたし、軍隊の中将以上の将官は、戊辰戦争以来幕末以降あらゆる戦いに参加しているということもあり、戦争慣れしているというところがありました。

司馬遼太郎さんが、主人公とした秋山好古真之兄弟は、彼らと比べると第三世代という感じで、明治政府が人材育成のために優秀な人材を海外に派遣しましたが、彼らはそういう世代でした。ですから、戦争をするにしても、軍隊の統率は、明治維新の生き残りのようなサムライが担当し、実務や作戦立案は、しっかり教育をされた人が担当するという、実に有効な人事を日本陸海軍はしました。

明石元二郎

それと、このドラマではあまり組み込まれませんでしたけれども、本編で「大諜報」という項目があり、その中心となったのが明石元二郎という人物です。日本政府はこの明石に100万円というお金を渡して、ロシアで革命が起こるべく扇動活動をさせます。この明石の能力と100万という大金によって、ロシアの反政府組織が機能的に動くようになり、ロシア革命が起きる原因を作りました。この100万円という金額がどれだけ大金かというと、今の金額に換算すると400億円という大金になります。

ロシアは明石の反政府活動のために、日本と戦争どころではなくなってしまったというところもあり、それは明石の力が大変大きかったと思いますし、司馬さんご自身が、明石の働きを陸軍全体、海軍全体の働きと比肩するといってますし、後にこの明石は台湾総督をつとめますけれども、その働きぶりから将来総理大臣になるだろうとまでいわれたそうです。ということは、ロシアは、将来日本の総理になるべき人物と諜報戦をしていたということであり、そういう人材だからこそ、大きな働きをしたといえるのかもしれません。

総理で思い出しましたが、この日露戦争の勝利の立役者の一人として、児玉源太郎を上げることができます。彼は、陸軍大将でありながら、日露開戦でになると、少将級役職である参謀本部次長となり、戦争を遂行することになります。この人事がどれだけ破天荒かというと、児玉のそれまでの役職の履歴を見ればわかります。

  • 明治22年陸軍少将
  • 明治27年日清戦争
  • 明治29年陸軍中将
  • 明治31年台湾総督
  • 明治33年陸軍大臣
  • 明治36年内務大臣
  • 明治36年文部大臣
  • 明治36年陸軍参謀本部次長
  • 明治37年陸軍大将
  • 明治37年日露戦争勃発

こんな感じです。
当時の陸軍大臣という役職は、閣僚としても最上位ですし、内務大臣にいたっては副総理級で、そこまで務めた人物が、象徴の次官クラスである参謀本部次長に就任したということは、これから日露戦争が始まるという矢先の緊急人事であるにしても、やはり破天荒だし、それも児玉源太郎自ら次長に就任するという事自体が、児玉の人柄というものがわかります。

また、一軍人であった児玉が政府の要職を務めたのは、政治的な才能が当時最もあったからだと司馬さんが書かれています。それは、彼が台湾総督として後藤新平を抜擢し、台湾のインフラの近代化を推進させたことでもわかります。

児玉は、結局この日露戦争の心労が元でまるで花がしぼむように明治39年に亡くなります。児玉のことを書くと長くなりますから、これ以上書きませんが、日露戦争の真の英雄は、陸軍においては児玉源太郎だと思っています。とても偉大な人物でした。

ま、こんな感じで坂の上の雲の主人公が秋山兄弟ですが、あたり前のことですがこの戦争では多くの日本人が大活躍して、勝利を得ました。僕はこの快挙をもう少し日本政府の人たちも再度学んだ方がいいと思うね。国民がどうして奇跡を成し得たのかということは、今の日本に一番必要な気がするのです。