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かつてのファンが考えるソニー凋落の理由

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元々は僕はMacを使っていて、このブログでも何度も書いてますけど、Macを使わないようになったのは、OSがあまりにも不安定で、パソコンとして使い物にならないということがわかったという事かな。それでも僕はMacには忠誠心があって、結構頑張ったんだけど、使うのをやめようと思ったときには、アップルも相当傾いていたということもある。

Macを使わなくなった後、じゃあどうしようかということになって、アップルのハードは御存知の通り、デザインというものをよく考えていて、ハードとして実にかっこいい。それは今でも変わらないんだけど、自分が使うものはやっぱりかっこ良くないと使いたくないというのが心情だと思うのです。

ところが、今はずいぶん変わったけどWindows系のパソコンはどこもかっこ悪くて、どう言う頭の中身をしているのかというくらい、どのメーカーも同じような筐体を使っていて、所有したいとは思わなかった。唯一当時の今からで言うと、15年くらい前だとソニーのVAIOかIBMのThinkPadの一番薄い奴。これが最高にかっこ良かった。IBMのThinkPadは持ってましたけど、すごく良かったです。今はレノボになっちゃったけど。

で、ソニーに関して言うと、MacをやめてWindowsを使うにしてもVAIOがいいというマックユーザーは結構いて、それは見た目もかっこ良さもあったし、今にして思うと、OSもWindowsなんだけどWindowsらしからぬインターフェイスでかっこ良かった。僕は15年前に、本当に清水の舞台からおりるキモちで50万位するVAIOを興奮しながら買ってから、あとはずーーーっとVAIO一筋でした。

当時のVAIOは、これはおそらくですけど、戦略としてマックユーザーの受け皿というところは考えていたと思うのです。というのは、当時のVAIOは他のウィンドウズマシンと違って画像や動画の処理というものに特化しているところがありましたからね。Macはもともとそういうクリエティブユーザー向けのマシンと言う部分がありましたので。

また、僕が初めてWindowsを使ったのは、富士通のノートだったんだけど、やっぱりMacに慣れているとアイコンとかネーミングが洗練されていなくて、未だにマイドキュメントとかすごく違和感があるんだけど、そのあとVAIOを買ったときに、なんてWindowsらしくないんだろって思ったくらい洗練されていたし、さすがSONYだって思ったものです。

ところが最近だと、今時のカタカナ的な言い方をするとコモディティ化しちゃったと言うか、NECとか富士通のPCと変わらない感じになってきて、例えば独自性を出すにしても、カラーで選べるという感じにしてますね。
http://store.sony.jp/Special/Computer/Vaio/Ca/index3.html?s_tnt=46464:2:0
このリンクを見てもらえば、わかると思うけど、黄緑とかオレンジのマシンがあって、とてもかっこいいとは思えないのです。はっきり言ってデザインとかセンス以前の問題です。

後は、一番の問題は、音楽とかを映画とかものすごいソフト資産があるのに、開放してないというところ。つまりどういうことかというと、音楽とか映画は著作権にがんじがらめになっているんだけど、インターネットが浸透している時代においては権利への考え方も考えて行かないと、世の中に流通しないはずなんだけど、それは電子書籍を見ればわかるように新しい権利の対応はそんなに難しくないのに、旧態依然とした対応しかできていない。もっとわかりやすく言えば、音楽にしても、iPhoneといったiOSデバイスでソニーのアーチストの音楽をダウンロードして聞くことができないということでして、それは著作権を盾にして、いいものを世の中に流通させていないということであって、iOSデバイスユーザーは、いちいちCD屋さんに行って買わないとだめってことです。これは

  • お店までいく交通費
  • 探す労力
  • 家まで変える交通費と時間
  • CDをパソコンに組み込んで取り込む作業

こういうものをSONYはユーザーに強いているということで、これは使い勝手という考え方が最も優先される今日においては、致命的なんですよね。そういうことがSONYの人たちはわかってるのかということです。

今後のことを考えると、僕はSONYはハードは手を引いたほうがいい。特にテレビ関連とパソコン系はよほど独自性をアピールできない限り、価格競争になっちゃうし、SONYのブランドだから、今はもうだれも買おうとは思わないと思うんだよね。おそらくPC事業はSONYはいつか撤退すると思います。結局SONYの独自性を出せないわけだし、どうしてVAIOを発表した時と同じコンセプトを続けなかったのか。ここは大きな敗因だと思う。

あとは、ゲーム事業についても、PlayStationは一番最初のも2番目も機械としてとてもかっこよかった。何かインタビューで、コントローラーについては最も使いやすいものを追求したということを、何かのインタビューで読んだことがあるけど、今のSONYにはそういう精神が失われている感じがするね。確かにプレステのコントローラーは持ちやすかった感じはする。今のSONYは、ゲームを開発するにしても、開発する側が大変なコストを強いるわけでしょ。そうするとやっぱりいいものはなかなか作りにくい環境にもあると思うわけですよ。それがユーザーにとって果たしていいのかどうか。

僕はここ数年、使い勝手と言うことをずっと考えてきてるんだけど、それを明らかに無視している、或いは独善的にサービスや商品は確実にユーザーの支持を受けなくなる。MSがふざけたOSを開発して、世界中のユーザーからひんしゅくを買って、それとは全く逆の機能のOSを開発して、ユーザーから舐めてるんじゃねえと相手にされなくなりつつある。

アップルの故スティーブ・ジョブズが、ニーズに対応するんじゃなくてニーズを作っていくというようなことをよく言ってましたが、それでもアップルが開発する製品の基本コンセプトはシンプルということであり、これは逆に言えば、ユーザーにとって使いやすいということに徹底的に拘るということであり、それはスティーブ・ジョブズの伝記を読めばそのあたりのことがよく書かれている。

Appleがうまく行っているのは、すべてのサービスや商品がリンクしているということなんだけど、SONYにはそれが全くない。前はあったんだけど、今は全くない。せっかくPCというデジタルハブがあるのに、それをサービスやテレビといったAV製品とうまくリンクしないうちに、いつの間にかマンモスのようになり、今や縦割り組織の代表格になってしまった。このあたりを解消しないと、SONYの未来はなさそうだなと思います。