鎌倉散歩 浄妙寺〜報国寺
今回で4回目の鎌倉散歩ですが、今回は少し鎌倉から離れたところでもある、報国寺に行こうと思った理由は、調べてみると竹林が素晴らしいということからでした。そして、報国寺を調べてみると、直ぐ側に鎌倉五山の一つでもある浄妙寺があることがわかりました。そのため今回の鎌倉散歩は、浄妙寺〜報国寺ということにします。
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お寺の風格を感じさせる浄妙寺
冒頭でもご案内をしたように今回の鎌倉散歩の目的は、竹林のお寺である報国寺に行くことなのですが、実際に浄妙寺は鎌倉五山の一つということもあり、お寺の風格を感じさせました。
鎌倉は、武家政権発祥の地であるということもあり、このお寺も1188年に足利義兼が建てたお寺です。1188年ということは、源頼朝が鎌倉幕府を作ったのが1192年ですから、頼朝が権力の階段を駆け登っている頃になりますよね。ちなみに足利義兼は頼朝の御家人でした。なお、ムラ町幕府を立ち上げた足利尊氏は、義兼の直系で7世あととされています。
冒頭でもご案内したように浄妙寺は鎌倉五山の一つということもあり、歴史も900年以上あるということもあって、大変風格のあるお寺です。このお寺は足利将軍家と縁があり、立ち上げた人は、足利尊氏の先祖ですし、浄妙寺という名称も、尊氏の父である貞氏の法名からつけられたということになっています。
僕がこのお寺でもう少し興味を持ったのは、浄妙寺の中延福寺というお寺があり、ここに権力闘争で破れた足利直義の墓があるということでした。
道標に従って進んでいくと、
延福寺に行く、道すがら、立派な竹林がありました。
竹林を抜けると、足利直義の墓がありました。もともとは、延福寺のあったという場所です。
もともと、足利直義は、兄足利尊氏を助けて室町幕府を作った功労者で、室町幕府が成立したあとは、最高権力者の一人となりました。ところが、政権運営をしている間に、兄尊氏の側近でもある高師直と対立、その流れで兄尊氏とも対立して、結局観応の擾乱という最悪の結果となり、そこで敗北した直義はここ延福寺に幽閉され、ここでなくなるという悲劇が起きてしまうことになります。
どなたかがお花を備えているんでしょうね。素晴らしいことです。
話は変わりますが、浄妙寺は建物やお地蔵様、石碑なども見事でしたので、アップしておきます。
山門
ここで拝観料を収めて中に入ります。
花塚
お寺の中に入ると左手に花塚があります。浄妙寺では年に1回供養を行っているんだそうです。そのとなりに、目立たないけれども、存在感のあるお地蔵様がありました。
そして正面には本堂があります。
あとはこの時期(訪れたのは6月22日)なので、紫陽花も咲いていました。
この紫陽花は、浄妙寺内にあるレストラン石窯ガーデンテラスの前に多く咲いていました。
このお寺の周辺は、浄明寺という名前で、お寺だけ浄妙寺という同じ音で字が違う事になっています。これは、もともとは浄明寺という場所は、浄明寺の寺領だったそうです。そう考えると、鎌倉五山の一つというのも分かる感じがしました。では、次に竹林の寺、報国寺に向かいます。
竹林のお寺、報国寺は、大変素晴らしかったです
もともと報国寺というお寺自体知らなかったのですが、鎌倉を色々と調べているうちにたまたま報国寺を知り、更に調べてみると竹林が有名であるということがわかり、行くことにしました。鎌倉というと長谷寺や明月院の紫陽花が有名ですが、ちょっとこの時点で個人的に飽きてたということもあって、竹林のお寺というのは、かなり関心が高まりました。
報国寺は閑静な住宅街にあり、バス停からも数分の場所にありました。
山門の前には立派な紫陽花が咲いていました。
山門に入ると、もうそこは武家文化らしい、緊張感のある静寂さを感じることができました。
これこそ、日本らしい風景ですよね。
お寺には必ずと言っていいほど、お地蔵様がありますね。なんとも言えないいい佇まいです。
お庭には、仏像もありました。背景とものすごく調和していますよね。
参道を少し歩くと右手に報国時の本堂と鐘楼があります。
本堂の受付で拝観料600円(休耕庵で抹茶がいただけます)を支払いに、中にはいると、素敵な日本庭園が広がります。
更に奥に入っていくと、やぐらがあります。これは足利一族のお墓で、
このやぐらには、足利家時(室町幕府開祖、足利尊氏の祖父)、足利義久(四代鎌倉公方、持氏の嫡男。十歳でこの地で自刃。)の墓があります。そばに近づくことはできません。
この庭園はすでに竹林となっているのですが、石碑やお地蔵様もあります。
そして報国時の竹林です。事前にウェブサイトなどを見て知っていましたが、実際に自分の目で見るとこれはかなり感激をします。
この竹林の中に休耕庵という休憩所があり、そこで抹茶とお菓子をいただけます。しかも、目の前には竹林が広がっているので、気持ちがとても落ち着きました。
少し歩くと石碑群があり、調べてみると、これは新田義貞が鎌倉攻めをした際に、新田軍と北条軍の戦死者を弔うためのものだそうです。やや、異様な雰囲気を感じました。
こちらの石碑は歌碑で、新田軍と北条軍の戦死した兵士を弔うもので、
いさをしも槍も刃も埋れて 梢に寒し松風の音 華の世を所業つたなく散る君に香一片を焚きておろがむ
と石碑には刻み込まれています。
このあと、受付で御朱印をいただきました。
今回、動画を撮影するために何度も鎌倉に訪れていたのですが、報国寺は紫陽花ブームにも巻き込まれないこともあって、観光客もあまりませんし、何よりも侘び寂びを強く感じられた、素晴らしいお寺でした。また、来たいと思いました。
しらすの銘店秋本でランチを頂く
鎌倉の秋本は、何年か前に行った時は食べるのに1時間以上待ちました。今回はコロナ禍ということもありましたが、それでも僕の前に2組ほどお待ちしていました。
注文したのは生しらす丼です。友人の寿司屋の大将にも聞きましたが、東京では生しらすはまず食べられないということで、それほど新鮮じゃないと食べられないそうです。
温泉卵は、少しご飯が減ってからかけてお召し上がりくださいとのことでした。
赤だし系のお味噌汁。
生しらす丼です。生しらすの下には釜揚げしらすがあるので、一度で生しらすと釜揚げしらすを楽しめるというのはいいですよね。
今回は、とにかく報国寺の竹林が素晴らしくて、久しぶりにため息が着きました。ここもぜひ秋には行きたいと思いました。