日本の政治について一言
僕は、政治のことは嫌いじゃない。と言うよりどちらかと言えば好きな方でしたし、民主党政権が出来たときは、これで日本が変わると本気で期待をしましたが、現状は自公政権を上回るほどの期待はずれで、野田政権になってからは与野党が政局ばかりで、今度総選挙があってもあまり投票にも行きたくない気持ちでいっぱいです。
そもそも政治の仕事は何かということを考えると、まず国民に希望を与えることだと思うし、次に国民を守るということではないのかなと思うのです。
例えば大阪の橋下市長が人気ですけど、彼の場合は強力なリーダーシップと大阪都構想でも見られるように彼だったら大阪をよくしてくれそうだという気持ちを持たせる発信力があるということですね。
僕はこういう時期に政治家の人たちにもう一度読んでもらいたいのは、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」。
これは「坂の上の雲」の出だしの部分ですが、手工業と農業国だった日本が、外国には侵略されないようにということで、明治維新が起こり、近代国家の真似事を必死でしながら30数年後にはヨーロッパの大国であるロシアと戦い、なんとか国を防衛しきったという大事業をどうして成し遂げたのかということをもう一度考えるべきじゃないか。
この問いに対する僕なりの答えは、これは当時の日本政府が努力さえすれば、栄光がつかめるよだから頑張れという政策を取り、国力をあげようとした。国民もそのことを信じて頑張ったということじゃないかと思う。司馬さんがこの時期の日本国民と明治という時代について、明治ほど国民ののしかかった時代はないのに、のしかかられている国民は実に明るくて無邪気だったということを書いてますね。
江戸時代は、ある意味貴族社会でしたから、町人は町人から脱却できなかったし、農民だってそう。武士という全く生産能力のない階級を食べさせるために、農民を搾取した時代でした。
明治になると、農民だけではなくて、町人だろうが武士だろうが、どんな階級からも搾取する国家でしたが、頑張れば現状を打破できるから頑張れ!という政策をしたし、国民も無邪気にそれを信じて頑張り、国もそれ相応の期待に答えたというところがあり、国と国民の間にには信頼関係があった。
ところがその後の日本は軍部が暴走し、結局国家は存亡の危機に陥り、国民は国というものが実に頼りにならないということを知った。それは国が国民の期待を裏切り続けたということで、それは戦後の一時期をのぞいて、今でも続いている、特にバブル以降の政治はまさにそう。政治は無力だということです。
自民党がダメになったのは、二世議員が幅を利かせているから。歴史を見ればわかるように世襲政治はすぐだめになる。それは藤原摂関政治もそうだったし、平氏政権も、源氏政権も、足利政権もだめ。徳川政権だって、幕末末期は旗本が全く戦力にならなかった。それはどの政権も世襲化で貴族化してしまったということだ。
そのダメな自公政権以上にだめな民主党政権。消費税増税というのは、財源が足りないから仕方がないというのはわかっている。それを導入することで、経済がよくなるのか?活性化するのか。
このあたりは、民主党政権も官僚に踊らされているなというように見えるし、僕が見えるわけだから僕以上に賢明な人々はとっくの昔にわかっていて、でも言っても仕方がないから何も言わないということになってるんでしょうね。それでいいのかということです。
今の日本の政治家のだめなところは、我々に希望を与えないところ。日本の政治家は、よく龍馬がどうだとか信長がどうだとか言う前に、どうして彼らが日本を変えることができたのか、どうして多くの人を動かせたのかということをよく考えるべきだと思うね。