マザコンと呼ばれて
昔、僕が結婚して子供が生まれた当初は、前の奥さん(以下O)は僕の母親と折り合いがとにかく悪かったので、何か喧嘩とかあると僕に当たり散らし、僕もそれほど気が強いほうじゃないので、アワアワしているとこのマザコン!と言われて、ひっぱたかれたことは何度もある。
よくドメスティックバイオレンスとかいうけど、普通は旦那が奥さんに対してやる暴力のことだけど、うちの場合は逆だったね。その逆の時もあったけどね。夫婦なんてのはそんなものです。
でも、今から考えると、Oという人は実に思いやりのなかった人だと思う。そういう人を奥さんにしたということはいかに僕が人を見る目がなかったかということを改めて反省しないといけない。
じゃあ、どういうところが思いやりがなかったのかといえば、僕の家は、父親が僕が5歳の時に交通事故で死んでいるので、弟が1歳の時に母は未亡人になった。それから僕が結婚するまで、3人で必死で生きてきたというところがすごくあるし、その分親子との絆というは深かったし、さらに言えば、母親と息子の信頼関係は深かったと思う。それと母親にとっても、僕が中学に入学するまでは本当に優等生だったし、運動はできなかったけど、勉強はそれなりだったし、お店番はするし、夕飯の買い物もするいい子だったので、自分で言うのもなんですが、母にとっては自慢の息子だったと思います。中学入るまではというの条件がつくけどね笑
ところが結婚すると、Oは僕と母が話しをしているのをすごく嫌がったし、最後はそれを阻止しようとしたりしたことで、今度は僕が母に対して遠慮をするようになった。母には一応夫婦ということもあるので、こういう状態になるということを話して、母はわかったよということで了解をしてくれたけど、心中どういう気持だったのかと思うと、今更ながら胸が痛む。
その後、Oとは離婚して、月日も経ち最近同級生と一緒に食事やお酒を飲む機会があるんだけど、同級生の女子たちはしっかりお母さんになってる人もいて、彼女たちはしっかりお子さんを育て上げている感じで、僕は偉いなと思ってる。特に私は母親というのがすごく合っているという人がいて、僕も彼女のことが大好きなのですが、改めて凄いなと思った。ちなみに彼女の息子さんは都内でも有数な進学校に入学して海外に留学をしてるとのことで、母親として「成功」した人だと感心してる。
それで、彼女たちにマザコンのことを聞いてみたら、母親の立場に立てばマザコン大歓迎ということでした。それは母親は息子大好きというのは、見ててわかる。やっぱり愛情の持ち方が、旦那さんとかかつての彼とは明らかに違う。それは自分の体内から生まれてきたというのは、男にはわからない何かがあるんですかね。それは今度聞いてみないといけない。
関寛斎 |
関寛斎という、幕末から明治にかけて大変偉大なお医者さんがいて、僕はとても尊敬してるのですが、彼は生まれて3歳までが一番楽しかった、特に母親に背負われた時の頃が楽しかったといい、その母親の命日に服毒自殺をしています。こういう人のことも世間ではマザコンと言うんですかね。僕は彼の気分が何となく分かる。ちなみに関寛斎のことは司馬遼太郎さんの胡蝶の夢の副主人公として登場してます。
まあ、確かに母親の子供への愛情の深さというのは、これは凄いものがあると思う。これは父親にはないものじゃないかと思うけど、無私の愛情の深さはきっと父親よりも母親のほうが恐らく深い。
僕の母親も、僕が日本橋に引っ越したときは、79くらいだったと思うけど、足がおぼつかなくなっているのに、どうしても僕の部屋に来て掃除とかしたかったみたい。電話をすると、掃除に行こうか?とよく言われた。いくつになっても面倒が見たくてしょうがないんですね、母親は。もちろん、僕は途中で母親が倒れたら困るので、断りましたけどね。
逆に言うと、僕もこの年になって思うけど、息子にとっても母親というのはとてつもなく大きな存在。前にゲゲゲの女房で主人公の布美枝のおばあさんが亡くなって、葬儀が終わってホッとしているところ、父親がいなくなって探していると、川のそばで佇んでいるシーンがあるんです。布美枝がその父親の光景をそっと見ていると、あの厳しい、誰にも弱いところを見せたことのない父親が、「お母さん!」と言って号泣しているシーンがあり、布美枝はすごく驚く。。
これは僕にもよく分かる。いくつになっても母親は母親だし、特に50過ぎるとノスタルジックなことが僕らの世代には重要なところになるので、子供の時の日常当たり前だった事を思い出すと、涙が出てくるのを禁じ得ないのです。困ったものです^^
ちなみに僕にとって一番幸せだった時期はいつかなと思うと、小学校3年から中学2年までかな。一番色気のないときが楽しかった。