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親のこと

今週はお盆ということもあって、両親のことを少々書きます。僕は5歳の時に父親を交通事故で失い、母は3年前の7月に癌で亡くなりました。母は享年81歳。僕らの年齢になると、そろそろ親が亡くなる年になるわけで、僕自身も母親が亡くなるということへの覚悟がなくて、どんどん衰えていく母を見るたびに衝撃を受けていた。

今日はどうしてこういうことを書くかというと、先日ロンドンオリンピックで日本女子卓球が大躍進をしたという記事を書きました。それに対して僕の大学時代の友人が、その記事を読んでくれて、亡くなったお父さんのことを思い出したということだった。

彼のお父さんは、長い間スポーツ店を経営されていて、その中で卓球に対して情熱をもやしていたんだそうです。日本の場合、卓球が低迷してましたけど、福原愛ちゃんが3歳の時に天才卓球少女として出現して、結局彼女が強い弱いというところを抜きにしても、卓球をメジャーにした功績は大きいし、愛ちゃんを目標にした石川佳純選手のような人も出てきて、19歳にして日本のエースになった。そういう現実を天国のお父さんはどう思っているのかと思うと、彼は泣いてしまったんだそうです。僕はブログを書いててよかったなと素直に思いました。

親との交流というのは、僕らを産んでくれて、育ててくれて、そしてその子供である僕らが家庭を持っていくといった、成長するに連れて、親はあたり前のことだけど年をとっていく。

僕は自分が親であることをやめてしまったけど、僕の母は僕がどんなに悪いことやどんなに失敗をしても、常に味方でいてくれましたね。この愛情はどういうことなんだと僕は思うのです。ここではあまり書けないけど、本当に親には迷惑をかけどおしで、常に母は僕に対してヒヤヒヤしていたと思うですよね。この前梅ちゃん先生で、梅ちゃんのおばあさんが、自分の養子である梅ちゃんのお父さんの弟に対して(すごくわかりにく表現だけど^^;)、子供が親に迷惑をかけるのは当たり前だというセリフがありました。親の懐って言うのは実に広いものです。

例えば、僕が結婚しているときに浮気をすると、前の奥さんは何故か夫婦内で収めずに僕の母親に連絡をして、呼びつけてました。母にしてみれば、自慢の息子が浮気をするわけ無いと思っていたようですが、これが何度も続くと、こいつは大変な女好きなのかもしれないと思ったでしょうね。何も言わなくなりました。またかみたいな感じだったと思います。

また、僕が二度目の独立をして、日本橋に住んだ時に、そんなところに住めるのかということを言ってたし、それ以上に部屋を掃除に行きたくて仕方がなくて、僕は40後半だから大丈夫だって言って結局あの家には母は掃除には来させませんでした。

母のことで未だに後悔しているのはたくさんあるんだけど、26の時に結婚してから母が亡くなるまで、一度も母の手料理を食べてないということ。母の料理はレパートリーが本当になかったんだけど、けんちん汁とか月見の日に作る団子は実においしかった。母も何か作ろうかということもあったんだけど、断ってしまった。切ないねえ。

そして、母が亡くなる年。5月だったと思うけど、弟から連絡があって、母親が余命数カ月だということを医者から通告されたと泣きながら電話がありました。僕はすぐ新横浜の病院に行き、母を訪ね、それなりに元気だったので安心をしたんです。

その2週間後に見舞いに行くと、しゃべるのが不便そうで呂律が回らなくなってました。それで猫がいるんだよと写真を見せると、母は猫好きだったものですから、嬉しそうな顔をしたのを今でも覚えている。ただ、前回よりは明らかに母が衰えていて、結局この時が母と言葉を交わした最期の日になりました。(ちなみに僕の猫好きは母からの遺伝です)

そして、3回目に行ったときは、もう完全に意識が朦朧として話すことも出来ない。大きな声で来たよ!耳元で言った時には少し反応をしましたけど、話はできませんでした。完全に衰えちゃってました。人がどんどん人間としての機能がだめになっていくというのを見るのは結構衝撃的で、生命が衰えていくというのは、子どもとしてはきついし、小さい時に颯爽としていた親が、年をとって生命の灯火が消えつつあるのを目の当たりにするというのは、辛い体験だったし、ああ、母は本当に死ぬんだなということをこの時実感した。

それから数日たって、弟から電話が入り、母が息をしてないから病院に来てくれという連絡が入り、僕は病院に向かうと、確か夕方だったと思いますけど、病室から西日の入った部屋に弟が呆然として座っていて、僕らはここで握手をしました。そして母が亡くなったことをはっきり認識したのです。

母が亡くなってから、不思議なことがおこるようになりました。まず、仕事関係ではあらゆるところから僕の会社が攻撃をされました。会社も攻撃され、僕も散々攻撃され、その結果仕事を続けるのが不可能になってしまった。これはどういうことだったのか。

一方で30何年ぶりに高校の同級生と再会して、とても仲良くしてもらえるようになった。この交友関係は、人間関係が希薄だった僕に、水を与えてくれたようなもので、僕は攻撃でボロボロになっていたところを助けてもらったような感じになった。

話は脱線しちゃいましたが、小さい頃は親は唯一無二の存在で、なんでもできて頼り甲斐のあるスーパーマンだった親は、年がたつにつれ、衰えていき、まさか自分が親を送るとは思っても見なかった。

この前も同級生と飲んだ時に、親の話題になって、彼女も親との別れがいつか来るということに対して恐怖心をいだていました。僕としては、いつ何かあるかわからないから、親とできるだけ一緒にいたほうがいいという味気のないアドバイスをしましたけど、彼女は優しいので、そうだよねと納得してくれました。

結局僕は両親をなくしてしまったわけですが、それは時間が経つからアタリマエのことなんだけど、ふと親のことを思うと、お墓参りに行きたいなといつも思っているのです。

母親が亡くなってから僕は色々と変わったりして、例えば年配の人に妙に親切になった。それと感受性が強くなったということかな。涙もろくなりましたよ^^

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