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今年最高の良著ービートたけしの間抜けの構造

前回紹介をしましたが、ビートたけしさんの「間抜けの構造」。今年一番の良書じゃないかというくらい、この本は面白いし、一番僕にとってプラスだったのは、間のとり方ということがある程度具体化されたことであり、自分が常日頃思っていることが、あながち間違いではないということがわかったということです。

ビートたけし 新潮社 2012-10-17

個人的に言うと、たけしさんのギャグは面白いと思わない。特にツービートの時は人を攻撃して笑わせる、ブラックジョークは面白くなかった。ソロになっても、安積と一緒に出てるニュース番組で、何かやるけど、はっきり言って好きじゃない。映画にしても、独特の世界観があったり、暴力シーンも見てて、好きになれない。

ただ、今回のこのたけしの本を読むと、彼が大変な教養を持ちながら、評論家ではなくコメディアンという実行者であり、その実行者として細かいところを注意しながらよく見てるし、こういうことが蓄積して、漫才ブーム以来生き残っているということなんだろうと思えるのです。

結局世の中を生きていく上で、間のとり方、間合いといったタイミングのとり方の見方を色々な例をだして説明しているのですが、その間のタイミングのとり方が下手か、タイミングが外れてしまうというのをたけしさんは間抜けだと言ってる。その間抜けの具体例が実におかしくて、僕は電車の中でこの本を読んでいたら、吹き出してしまった。

本来電車の中というのは静かにしていないといけないという暗黙のルールがあるわけで、それを守っているつもりが実際には守れていないというがいわゆる「間抜け」で、僕のこのケースもまさしく間抜けだ。よくお姉ちゃんが座席に座って化粧をしていたり、特にまつげにマスカラをつけている時って傍から見ると実に間抜けな顔をしている。本人はめちゃめちゃ真面目だから、なおさらおかしい。

この本を読んでいると、実に僕の周りでも間抜けな人や間抜けな行為を目にする。

例えば、そんなことを言ったら相手に反感を買うよというようなことを平気で言ったり、この時にそれはないでしょうというようなことはよくある。僕の場合は、わざとその人との関係を断ち切るためにいうことがあるから、確信犯でもっと最悪なんだけどね。前に、安倍元総理が「KY」と言われたけど、これはまさしく間抜けの代表的なものだ。当人はまじめにやっているけど、周りは迷惑を被っていて、当人はそれがわかっていないというようなことです。

他には、何かに対して物事を察してあげるということも重要なことで、その相手を理解さえしていれば或いは相手のことを考えていれば、黙っててもわかってあげるということが出来るはずなんだけど、それがわからなくて、無神経に相手の中に土足で入ってくるということもよくある。目で相手に合図をするけど、これが伝わらないときは最悪で、この時の失望感というのは結構大きい。よくそれを言ったら野暮でしょとか、それを言っちゃあおしまいよという状況があるけど、それがわからない人がたくさんいる。もちろん、それは僕も含めてだけどね。

最近だとお利口自慢の人が実に多い。テレビに出てくるコメンテーターは大体この類。自分がいかに間抜けだということがわかっていない。大物で言うと、竹中平蔵はその最たるもので、小泉内閣の中心になった人物で政策を通すために政治家になり、小泉総理が退陣すると自ら引いたというところまでは僕はなんて引き際のさっぱりした人なんだろうと思った。

ところが、実際には小泉内閣の政策がひっくり返されると、あらゆるメディアに出演していて、しゃしゃり出るという言葉がこの人に実に似合ってる。彼が喋れば喋るほど、それが世間には肯定的にとらわれないで、珍妙に映っているということがわかっていない。まさしく間抜けだ。黙して語らずという態度が必要な機微がわからないということだ。

世の中で特に間抜けなのは、わかりきってることを眉間にシワをよせて知ったかぶりをしながら、自分の書いたメモを見ながらコメントをいうことであり、たけしさんくらい間が分かる人は、絶対こいつ馬鹿だね〜と爆笑してると思うね。

だから、前回知的ということを書いたけど、自分がお利口だよということをアピールすること自体が、間が抜けてるということなんだと僕は思うのです。そういう人間は、勉強ができるから自分が優秀だと勘違いしている手合いだ。竹中平蔵もそうだし、最初は経済評論家と言っていたけど、最近はモテるためにはどうしたら良いかとか、ダイエット本まで出している勝間和代もこの類。恐らく自分のことを間抜けだと思っていない。そもそも一般人なのに2回も離婚している事自体がだめだし、そういう自分を売りにしてシングルマザーを気取っているところが、笑える。相当な馬鹿だと思うね。

ちなみにたけしさんがこの本で色々な間抜けの例を上げているのですが、政治家の間抜けな発言に対するたけしさんの結論づけが秀逸なので、ここで引用しておきます。

そもそも「最低でも県外」なんて、”間”の悪いことを言わなければいいのに。「腹案」とやらがありもしないくせに、一国の総理が軽薄な正義感だけで発言しちゃう。具体的な可能性もない。ここまで間抜けなことを言うのは、もう病気だと断言するお医者さんもいるくらい。
(中略)
「あなたとは違うんです」(福田康夫元首相)
総理の職を辞する、という大事な場面でいう言葉じゃないよ。そこで最後っ屁みたいに逆ギレしてどうする。本当に辞めてくれて良かった。
さっきの間抜けな元総理の弟は、
「友達の友達はアルカイダ」(鳩山邦夫元総務大臣)
これはくだらなさ過ぎて笑っちゃたね。兄弟揃って間抜けなんだからさ。どうせなら、「オヤジのオヤジは総理大臣」ぐらい言って欲しかった。そうしたら「鳩山一郎だろ!」って一斉に突っ込めるのにさ。

と、まあこんな感じです。そしてこれらに対してたけしさんの結論づけは、

なんでこんなに間抜けな失言をするかというと、自分がどういう立場にいる人間かがわかっていないからだ。自分を客観視する能力がないからこういうことになる。グーッとカメラを弾いて、自分のことを俯瞰で見下ろして、周りの状況を把握していれば、絶対こんな異ならない。

全く至言で、その通りだと思う。

また、間が抜けているということが、どうしょうもない愚人だけのものではなく、愛らしさを感じさせる場合もある。特に本人が真面目であればあるほど、それが可笑しみに変わることもあって、間抜けということが悪であるということはもちろんない。そういう足りないところがあるから、この人を自分が何とかしないとと思わせるというのもとても大事なことだと思うし、それが一生懸命であればあるほど、そういう気持ちが強くなる。

どうしてたけしさんがこうも「間」ということに対して、よくわかっているのは、彼が芸人であり、漫才師ということもあって、相方やお客様を見ながら、しゃべるタイミングというものを常に考えているということであり、この本は観察観がいかに我々は不足しているかということを改めてきづかせてくれる、最近まれに見る良書で、何度も読める本だと思います。

ビートたけし 新潮社 2012-10-17

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