0 Shares

八重の桜を見る時に知ってるといいことー薩摩は奸悪

八重の桜がこれから益々面白くなっていくと思うんですが、その根拠としては、真面目さ故うまく政治に対応できなかったことで、、大変な悲劇を招いてしまったというところかなと思うのです。その辺りの時代背景を知ってると、八重の桜はもっと楽しめます。

幕末から明治維新にかけて、一番人が悪いのは薩摩藩です。その辺りがぼくはこの時代の一番のポイントだと思ってるのです。それはなぜかといえば、当時の力のある藩は、まず薩摩藩。次に長州、会津藩、そのあと、土佐とか肥前藩とかがあるのですが、とにかく薩摩藩が一番力がありました。薩摩には西郷さんや大久保さんという日本史レベルの人がリーダーだったということも大きい。

井伊直弼

先日、安政の大獄で井伊直弼大老が独裁政治を敷いて反対者を弾圧したら、それがそのまま跳ね返って、結局井伊直弼自体が殺され、それによって大いに幕府が弱くなってしまった。幕府の弱体というのはどういうことかというと、傘下の大名に対して抑えが効かない、管理が出来なくなったということです。逆に言えば、以前は幕府の強大さに恐れをはしていた藩が、勝手なことを始めたということです。それが、結局京都において、佐幕派に対する天誅活動が活発になったということだし、長州藩が過激公卿と組んで、勅令を乱発し始めた。(勅令というのは簡単に言うと天皇の命令です)つまり、朝廷が幕府に攘夷の決行を命令したり、好き勝手なことを始めたのがいい例でした。

これに対して幕府は、どうせ長州の下級武士がやっているということがわかっていても、勅令が出てしまっている以上無碍にすることが出来ない。なぜかといえば、もし、幕府が勅令を無視すれば、過激公卿の裏にいる長州が勅令にかこつけて、幕府に対して何をいってくるかわかりません。当時長州のライバルといえば、薩摩なので、そういう傍若無人の長州に対して苦々しく思っていて、朝廷を薩摩系に切り替えてしまえという思惑もあり、そのためには武力が必要だということもあって、手を組んだのが会津藩で、朝廷から長州カラーを一掃しようとするための薩会同盟を組み、その武力を背景に一掃してしまいます。これを8月18日の政変というクーデターです。

その後有名な池田屋事件がおこります。これは、8月18日の政変で長州勢が一掃されたため、再起をしようという長州派が池田屋で謀議をしている時に、新撰組が襲撃して大成功しました。これによって先鋭的な長州の志士は大打撃を受けましたし、明治維新はここからはじまるといわれる位の大事件でした。これで、新撰組のブランドはしっかり確立した一方、長州の新撰組への憎しみもここからスタートします。これでほぼ長州勢力は完全に京都から一掃されます。

蛤御門
白いところが銃弾の後です。

これに対して長州は一度下野するのですが、報復のため上京し、そこで大変な戦争を起こします。それが蛤御門の変といい、京都御所でどっちが玉(天皇)を取るかという戦争になります。ただ、長州以外はすべて敵であり、その中心になるのが、薩摩であり、会津、そして幕府で長州はここでボコボコにされます。ここでものすごく長州は薩摩、会津、幕府に対して恨みを残すんです。この戦争で、京都は火の海になります。去年、京都に行った時にこの蛤御門を見て来ましたけど、門に銃弾の跡がありました。この戦争が起きたのは、1864年ですから、まだ150年くらいしかたってないのです。

高杉晋作

この後の長州は大変で、このあと長州をアメリカやイギリス、フランス、オランダに攻められるわ、長州征伐をおこされるわ、桂小五郎はいなくなってしまうわで、革命派は大変でした。それを覆したのが高杉晋作で、そういう逆境から復活させた手腕もあり、ものすごく尊敬されるのです。

ここで長州がラッキーだったのは、坂本龍馬の存在で、彼が幕府を倒さないと日本はだめになる一方だし、それには犬猿の仲である薩摩と長州が手を結ばないといけないということで、それはもう大変な苦労をして、この二藩を握手させます。これが世に言う薩長同盟です。薩摩藩は汚いから、そういうことを会津には通告せず、倒幕にかじを切ることになります。

これに対して、会津は怒るわけですよ、薩摩に対して。裏切ったなと。しかも、戊辰戦争の会津攻めではボコボコされます。これがこの後どういう形になるかというと、西南戦争の時に政府軍の一員として会津は参戦します。あれだけ新政府にいじめられた会津ですが、新政府の要請に応じて参戦する。政治というのは魑魅魍魎の世界だというけど、本当にそう思います。昨日の友は今日の敵になるし、昨日の敵は今日の友になります。

それで、八重の桜では中村獅童が演じる佐川官兵衛が、薩摩と戦うために熊本に赴きます。佐川は当然会津兵を連れて行くわけですが、薩摩を攻撃する時は「戊辰のかたき!」といいながら攻めたそうです。恨みというのは怖い。この戦いで佐川は戦死するというおまけもつきます。

このように政治の面では会津は散々な思いをするのです。この辺りは、色々と本になってますが、結構泣けます。特に司馬さんの街道をゆくー奥州白河のみちとか松平容保のことを書いた王城の護衛者とか、なかなかの作品です。

この一連の会津の動きを見てると、松平家という名門の意識もあって組織自体が硬直していたというところはあり、政治家がいなかったというところがあります。この政治家というのは、駆け引きができる人間という意味です。この時代では、薩摩の西郷、大久保、長州の桂小五郎、戊辰戦争の時には暗殺されてしまった坂本龍馬、長岡藩の河井継之助くらいじゃないでしょうか、政治家といえるのは。会津の場合は名門意識と愚直な真面目さということもあって、敗亡してしまったというのが僕の印象です。

ただ、日新館教育(会津の藩校での教育)は英才を育てたわけで、その人達は特に教育関係で活躍してます。八重のお兄さんである山本覚馬(西島秀俊が演じている)は、新島襄を助けて同志社を立ち上げていますし、山川太蔵(後の山川浩)の弟である健次郎は、後に東京帝国大学の総長になります。彼らが頑張った背景には、更新の会津の人たちが東京や京都に来たときの受け皿になろうとしたというところがあるそうですね。

【この記事で紹介したリンク先】

【この記事のおすすめ本】

この記事が気に入ったら
いいね!しよう