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次回の八重の桜ー薩長の密約を楽しむための基礎知識

八重の桜は、蛤御門の変が終わってから、2回は八重の結婚とややゆるい話題でしたが、来週は薩長の密約ということで、幕末の一つの頂点となるイベントがあります。この辺りは色々と背景を知っていると面白いので、そのあたりを今回書きます。

薩摩と長州はもともとライバル視している藩だったのですが、長州が暴走したことで危機感を感じた薩摩が会津と一緒に朝廷から長州を追い出したのが、8月18日の政変でした。その後池田屋事件が起きて、長州はその報復をするために京都に出兵したものの、薩摩と会津の連合軍に返り討ちに遭い、御所に発砲したしたかどにより朝敵となりました。その後長州征伐、4カ国との下関戦争で大敗と、長州はボロボロになりました。その怨嗟の先は、薩摩藩と会津藩でした。長州のこの両藩への思いというのは、蛤御門の変の時に掲げたの幟(のぼり)に書いてあったのは「討薩賊会奸」ですから、長州がどれだけこの2つの藩に対して呪っていたかわかりますし、これが後の会津藩への執拗な攻撃にも繋がるわけです。

どれだけ長州がこの2つの藩を恨んでいたかといえば、会津に関して言えば、会津鶴ケ城を徹底的に攻撃し、白虎隊の悲劇だけではなく、会津の領地を没収し、そのまま斗南藩5万石に集団移民を強行します。この斗南藩というのは、今の青森県の東にあたり、大変生活のしにくい土地でした。

薩摩に対しては、桂小五郎は死ぬまで薩摩に対しては疑念を持ち続けました。そもそも薩長同盟を組もうという日に、「長州は薩摩を恨んでいる」といい、延々と恨み節を続けたくらいです。

一方で当時の世間では幕府の次に実力があるのは、1に薩摩藩、2に会津藩、3に長州という見られ方をしており、特に薩摩と長州が手を握ればこれほど強力なことはないと思われていました。ところがこの両藩はお互いが憎しみ合っている。特に長州藩の薩摩への思いというのは、相当なものがあるということもあり、誰もが手を組むことはありえないと思われてました。

この時の状況を、司馬遼太郎さんが「竜馬がゆく」でこの2つの藩が結びつければ最強だけれども、現代で言えば(司馬さんが竜馬がゆくを書いた頃)、ソ連とアメリカが握手をすれば世界平和に大きく貢献するけれども、現実的にはありえないことで、薩摩と長州が手を組むというのは、当時のソ連とアメリカの関係に似ていると書いてました。それだけ難しいということでした。

ところが、土佐の坂本龍馬が紆余曲折を経て薩長同盟を締結させた。これによって時代は一気に倒幕に向けて動き出します。この薩長同盟を成立させたということもあり、坂本龍馬はすごいということになるわけです。

この後、第二次長州征伐がおきますが、幕府軍は長州に惨敗します。これは3つの要因があり、

  • 幕府軍にやる気がなかった
  • 高杉晋作の作戦が功を奏した
  • 薩長同盟

です。

この薩長同盟がどのように作用したのかといえば、坂本龍馬が率いる亀山社中(後の海援隊)の仲介で薩摩が購入した銃を長州へ横流しをして、長州の攻撃力がものすごく上がったというところがあります。このことで長州の薩摩への不信感も表面的には払拭され、結果的にこの両藩が明治維新の原動力となりました。

この歴史的にも重要な薩長同盟をどのように描かれるのか。その辺りを楽しみにしたいと思います。

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