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最近ハマっているものー峠

今年になってから、司馬作品を読み返しているのです。いわゆる大作といわれる竜馬がゆくや坂の上の雲は、もちろん読んだのですが、ここ数日峠という本を書いてます。この峠の主人公は長岡藩家老の河井継之助のことを書いた本です。

河井継之助という人は、新潟の長岡ではものすごく有名な人物なんだけど、長岡を出ちゃうと同じ新潟の人でもあまり知らない。それだけマイナーな人物です。理由としては、時の官軍に会津以上に抵抗したところがあり、北越戦争と言いますが、官軍は長岡藩に圧倒されてしまったのです。何故圧倒できたかというと、近代兵器を用意し、その訓練を徹底させたところにありました。しかも、官軍は大軍であり、河合の用兵によって官軍は何度も敗走させたのです。

ただ、戦争の場合は、最後は兵力ということもあり、また、官軍にも優秀な軍隊指揮者はいたわけで、長岡藩は結局敗北を喫します。河合もこの戦いでの負傷が元で戦死するという最後になります。可哀想なひとでした。

どうして、長岡藩が官軍に抵抗をしたかといえば、色々と事情はあるのですが、結局長岡藩というのは牧野家が殿様なんだけど、譜代大名なのです。つまり、徳川家の家来であり、それも徳川家康の天下取りに十分働きのあった家でもあり、そういう状況に縛られる続けたというところが大きかった。馬鹿正直だった印象ですね、今から見ると。

それは、この官軍は、最初は薩長しかいなかったけど、その後土佐と肥前が加わり、それから雪だるま式に大きくなっていったのですが、その中には、親藩大名も含まれてるし、良い直弼の彦根藩も官軍に寝返っている。このあたりの世渡りの下手なところが長岡藩にはあったし、なによりも河井継之助という強烈な人物が、藩のトップになったというところもあります。

彼がどれだけ強烈だったかといえば、ウィキペディアから引用しますが、彼を扱った書籍だけで

  • 『少年読本第三編 河井継之助』(戸川残花著、博文館、1899年)
  • 『北越戊辰戦争と河井継之助』(井上一次 著、イデア書院、1928年)
  • 『河井継之助』(「人物研究叢刊第17」、神村実 著、金鶏学院、1933年)
  • 『英雄と学問 河井継之助とその学風』(「師友選書第12」、安岡正篤 述、明徳出版社、1957年)
  • 』(司馬遼太郎 著、新潮社、1968年)
  • 『河井継之助のすべて』(安藤英男 編、新人物往来社、1981年)
  • 『河井継之助余聞』(緑川玄三 著、野島出版、1984年)
  • 『河井継之助写真集』(安藤英男 著、横村克宏 写真、新人物往来社、1986年)
  • 『愛憎 河井継之助』(中島欣也著、恒文社、1986年)
  • 『河井継之助の生涯』(安藤英男 著、新人物往来社、1987年)
  • 『武士(おとこ)の紋章』(池波正太郎 著、新人物往来社、1990年)
  • 『良知の人河井継之助 義に生き義に死なん』(石原和昌 著、日本経済評論社、1993年)
  • 『日本を創った先覚者たち ― 井伊直弼・小栗忠順・河井継之助』(新井喜美夫 著、総合法令、1994年)
  • 『小説河井継之助 武装中立の夢は永遠に』(童門冬二 著、東洋経済新報社、1994年)
  • 『北越の竜河井継之助』(岳真也 著、角川書店、1995年)
  • 『河井継之助 薩長に挑んだ男』(『歴史読本』第40巻第7号「シリーズ人物検証 7」、新人物往来社、1995年)
  • 『北越蒼龍伝 ― 河井継之助の生涯』(菅蒼一郎 著、日本図書刊行会、1997年)
  • 『小説 幕末輸送隊始末 ― 悲憤の英将 河井継之助』(竹田十岐生 著、新風舎、1997年)
  • 『河井継之助』(星亮一 著、成美文庫、1997年)
  • 『歴史現場からわかる河井継之助の真実』(外川淳 著、東洋経済新報社、1998年)
  • 『河井継之助 立身は孝の終りと申し候』(稲川明雄 著、恒文社、1999年)
  • 『河井継之助 信念を貫いた幕末の俊英』(芝豪 著、PHP文庫・PHP研究所、1999年)
  • 『河井継之助 吏に生きた男』(安藤哲也 著、新潟日報事業社、2000年)
  • 『河井継之助と明治維新』(太田修 著、新潟日報事業社、2003年)
  • 『怨念の系譜 河井継之助、山本五十六、そして田中角栄』(早坂茂三 著、集英社、2003年)
  • 『龍虎会談 戊辰、長岡戦争の反省を語る』(山崎宗彌 著、2004年)
  • その時歴史が動いた コミック版 志士たちの幕末編 』「北越の蒼龍“明治”に屈せず-河井継之助地方自立への闘い」(井上大助 作画、ホーム社、2009年)

これだけあるんです。

ちなみに司馬遼太郎さんは、河合のことを人物として桂小五郎よりも上というような評価をしてますね。

ただ、仕事が出来過ぎちゃうと、その反発も大きくて、この北越戦争によって長岡は焦土と化します。その事によって、河合の評価が大きく別れる。一つは、偉大な宰相としての河合。7万石しかない長岡藩が官軍を圧倒したという大きな事実があります。

一方で長岡藩をめちゃめちゃにしてしまったという評価。実際に河合が亡くなって墓に埋葬をしてもその墓を暴かれたという事実もあります。お前さえいなければ、こんなことにならなかったという思いですよね。

なお、第二次世界大戦の連合艦隊司令官であった山本五十六は長岡の人だけど、この河合という人物を尊敬し続けたそうですね。この辺りの感情はとても微妙なところでもあります。

ただ、大軍に対して果敢に闘いぬいたという河合は、歴史にIFは使えませんが、薩長側にいたらすごい人になっていたことは間違いない。生まれる場所が河合には合わなかったし、生まれた場所である長岡藩も河合をもったことで不幸であったということは言えるかもしれません。

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