2016/06/110 Shares

花子とアン6週がおわり、白蓮事件に思う

今週の花子とアンの展開はすごかったですね。週のはじめは、ロミオとジュリエットで「腹心の友」となった花子と蓮子ですが、蓮子には政略の匂いの強烈なお見合い話があり、蓮子は断ろうにも兄がすでに結納金を受け取ってしまっており、蓮子は外堀を埋められているということもあり、結婚せざるをえないという、実に過酷な状況になってしまいました。

この蓮子のモデルとなっているのは柳原白蓮で、後に白蓮事件という、新聞上で絶縁状を発表し、その絶縁状を叩きつけられた伊藤伝右衛門も同じ新聞上で反論するという、実に大正デモクラシーならではのやりとりがおきました。当時、白蓮は愛人である宮崎龍介の子供を妊っており、切羽詰まっていたという状況があったと思います。

白蓮の後半生は幸福そのものだったのでは

 

僕はこの件については、白蓮が宮崎龍介に出会うまでの結婚生活が実に不幸であったということ、また白蓮自身が恋愛体質のとても強い女性であったということを考えると、龍介との恋愛は必然的なものだったように思うし、特に伊藤との結婚生活が彼女を満足させられなかったという点を考えると、伊藤の不徳というものもあったのかなと思っていますが、いずれにせよ、白蓮の前半生はすごい人生で、後半生は幸福そのものだったというのは、龍介とその子どもたちの写真を見ると、わかるような気がします。

伊藤との結婚生活は、女中との対立があったり、伊藤自身が白蓮のことを理解しようとするという以前に、伯爵家と繋がりを持ちたいという思惑が強かったということと、伊藤が遊離に入り浸ることが多く、伊藤から病気を移されてしまうということもあり、大いに白蓮の心は、懊悩と孤独に苛まれ、その思いが短歌にぶつかっていくということになりました。そして、龍介と知り合い…ということになり、龍介の子供を妊ることで、冒頭に書いた出奔に結びつくのです。

白蓮事件での離縁状と反論文

このことを調べていたら、白蓮の離縁状とそれに対する伊藤の反論文を見つけたので、引用します。すごいです。

白蓮の離縁状

内容はというと、

 私は今あなたの妻として最後の手紙を差しあげます。今私がこの手紙を差しあげるということはあなたにとって突然であるかもしれませんが、私としては当然の結果に外ならないのでございます。あなたと私との結婚当初から今日までを回顧して、私は今最善の理性と勇気との命ずるところに従ってこの道を執るに至ったのでございます。
ご承知のとおり結婚当初からあなたと私との間には全く愛と理解とを欠いていました。この因習的な結婚に私が屈従したのは私の周囲の結婚に対する無理解と、そして私の弱小の結果でございました。しかし私は愚かにもこの結婚を有意義ならしめ、でき得る限り愛と力とをこの内に見出していきたいと期待し、かつ、努力しようと決心しました。
私が儚(はかな)い期待を抱いて東京から九州へ参りましてから今はもう十年になりますが、その間の私の生活は唯やる瀬ない涙を以って掩(おお)われまして、私の期待はすべて裏切られ、私の努力はすべて水泡に帰しました。あなたの家庭は私の全く予期しない複雑なものでありました。私はここにくどくどしくは申しませんが、あなたに仕えている多くの女性の中には、あなたとの間に単なる主従関係のみが存在するとは思えないものもありました。あなたの家庭で主婦の実権を全く他の女性に奪われていたこともありました。それもあなたの御意志であったことは勿論です。私はこの意外な家庭の空気に驚いたものです。こういう状態においてあなたも私との間に真の愛や理解のありよう筈がありません。私がこれらの事につきしばしば漏らした不平や反抗に対して、あなたはあるいは離別するとか里方に預けるとか申されました。実に冷酷な態度を執られた事をお忘れにはなりますまい。また、かなり複雑な家庭が生むさまざまなできごとに対しても常にあなたの愛はなく、従って妻としての価(値)を認められない、私がどんなに頼り少なく寂しい日を送ったかはよもやご承知ない筈はないと存じます。
私は折々わが身の不幸を儚んで死を考えた事もありました。しかし私はでき得る限り苦悩と憂愁とを抑えて今日まで参りました。その不遇なる運命を慰めるものはただ歌と詩とのみでありました。愛なき結婚が生んだ不遇とこの不遇から受けた痛手のために、私の生涯は所詮暗い暮らしのうちに終わるものとあきらめたこともありました。しかし幸いにして私にはひとりの愛する人が与えられ、そして私はその愛によって今復活しようとしておるのであります。このままにしておいてはあなたに対して罪ならぬ罪を犯すことになることを怖れます。最早今日は私の良心の命じるままに不自然なる既往の生活を根本的に改造すべき時機に臨みました。即ち、虚偽を去り真実につく時が参りました。よって、この手紙により私は金力を以って女性の人格的尊厳を無視するあなたに永久の決別を告げます。私は私の個性の自由と尊貴を守り、かつ、培(つちか)うためにあなたの許を離れます。長い間私を養育下さった御配慮に対しては厚く御礼を申しあげます。
(二伸)
私の宝石類を書留郵便で返送いたします。衣類等は照山支配人への手紙に同封しました目録どおりすべてそれぞれに分け与えてくださいませ。私の実印はお送りいたしませんが、もし私の名義となっているものがありましたら、その名義変更の為にはいつでも捺印いたします。
二十一日
燁子
伊藤伝右衛門様

伊藤の反論文

 

「絶縁状を読みて燁子に与ふ」(伝右衛門の反駁文)大阪毎日新聞 大正10年(1921)10月25日~28日掲載
(一)十月二十五日大阪毎日新聞
京都に滞在中の伊藤伝右衛門氏は二十三日夜の特急列車で鉄五郎氏と共に九州へ帰ったが、京都を去るに臨み燁子の絶縁状に対する公開状を発表したいとして、燁子との結婚当時から同棲十年の今日に至るまでの生活内容につき縷々陳述するところがあった。記者が氏の許可を得てそれを筆記したものが左の「絶縁状を読みて燁子に与ふ」一篇である。
燁子!お前が俺(わし)に送った絶縁状というものはまだ手にしていないが、もし新聞に出た通りのものであったら、随分思い切って侮辱したものだ。見る人によったら、安田は刀で殺されたが、伊藤は女に筆で殺されたというだろう。妻から良人(おっと)へ離縁状を叩きつけたということも初めてなら、それが本人の手に渡らない先に、堂々と新聞紙に現れたというのも不思議なことだ。俺はこの記事を新聞で見て一時はかなり昂奮した。しかし、今は少し落ち着いて、静かに考えると、お前と言う一異分子を除き去った伊藤一家がいかに今後円満に、一家団らんの実を挙げ得るかということを思って、却って俺自身としては将来に非常な心安さを感じている。
来年は俺も還暦だ。だんだん年を老ったから、伊藤家を合資組織にして、お前に対する俺の没後の財産処分方法などを考えていたところであったが、それももういらぬことになった。
俺の一生の中に最も苦しかった十年を一場の夢と見て、生まれ変わったつもりですべてを立て直そう、今後手当てには頓着せず、誰か一家の取締りをするによい人を探し出し、女中に一切家庭上のことを一任して、静かに子供の行く末でも眺めようと思っている。お前から送ったと伝えられる絶縁状を見ると、私としても言い分を何かの機会に言ってしまいたくなってくる。そもそも、お前との結婚問題からが不自然なものであった。十年以前の記憶をたどると、その時のことがまざまざと俺の頭に浮かんでくる。当時、妻をなくした俺には、お前より前に京都の某家との結婚問題が起きてそちらが殆んどまとまりかけていた。そこへふと、お前の話が持ち上がり、京都の北小路!あまり裕福でない華族に嫁いでいて、貧しい生活から逃げるように柳原家へ帰った出戻りの娘であるが、貧しさには馴れている妾腹の子で、母は芸妓だからという申込みで、上野の精養軒で見合いをした。その時、お前はまだ幼かったから、ふく子さん(柳原伯嗣子夫人)、とく子さん(吉井勇氏夫人)二人を連れてきて、そこで初めてお前というものに会った。お前はこの日見合いということを気付かなかったらしい。それからその晩有楽座へ来てくれということで、その劇場では柳原伯夫妻に初めて会った。追って話を進めることにして九州に帰ってくると、幸袋の家へ帰りつかぬ前に、最初の橋渡しであった得能さんから電報が来ていて、話がまとまったからすぐ式を挙げたいとあったので、まったく狐を馬に乗せたような気がした。
それほどお前との結婚は何でもかでも押し付けよ、それでないともし断られたらという懸念があったものだった。そして結納の取り交わせを済ませたがこの結婚は最初からあまり好い都合に運ばなかった。当時、若松にいた某々がこの縁談を種に金にしようとして俺のところに入り込み、今度の黄金結婚を東京の新聞が書くといっているといって、その口止め料として相当の金を要求した。俺はこれを一も二もなくはねつけたが、その結果は、この男がいい加減の材料を東京の某新聞社に売って、そこで燁子の身代金として何万円かを柳原家へ送っただの、それは義光伯の貴族院議員選挙の運動費に使うだの、伊藤は金子によって権門を買うのだなどと書かれた。俺はあまりよい気はしなかったので急に嫌気がさし、すぐに破談を申し込んだが、間に入る人々になだめられてとうとう結婚式を挙げた。今考えると、あの時少し俺が言い張ったら、十年という長い間の苦しい夢も現れなかったであろう。柳原家へは俺としてはお前のためにびた一文送ったことはない。この風説は柳原さんにお気の毒なことと思っている。
結婚の第一日、一平民の……お前からいうと一賎民の私の頭に不思議に感じたことがあった。式が終わって自動車でいっしょに旅館へ引きあげてきた時、お前はどうしたのか室の片隅でしくしくと泣いた。付添いの者たちがめでたい時に涙は不吉だといって諭したが、お前はなかなか止めなかった。俺は実家を離れる小さい娘心の涙かと思ったが、当時、出戻りとして柳原家でかなり厄介者視されていたお前である。この涙は自動車に乗る時、一平民たる俺が華族出の妻を後にして少しも尊敬せず、労わらず、先に乗ったという事がわかって、実際、これは大変な妻をもらったと思った。お前の雅号にしている白蓮!お前はある人に、伊藤のような石炭掘りの妻にこそなれ、伊藤の家のような泥田の中におれ、我こそは濁りに染まぬ白蓮という意味でつけたのだといったという。その自尊心。そういう結婚式の第一日に見せられた自尊心ないし持病のヒステリーはこの十年間どのくらい俺を苦しめたことと思う?!

詳細はこちらから読めます。

結局一番悪いのは、僕は白蓮の実家だと思いますね。明治維新で大名級のお金がもらえるようになったけれども、この革命で仕事をしたのは、岩倉具視くらいで、それ以外は反対をしていたけれども、結局西郷さんや大久保利通、桂小五郎などの活躍で、新しい時代になり、そのおこぼれをもらった人たちだから。

ちなみに白蓮のその後は、色々とあったけれども、本人の希望通り平民となりました。良かった。

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