2016/06/110 Shares

文藝春秋8月号で「私と妻、白蓮のことすべてお話します」という記事に巡り合えました

花子とアンの蓮子様のモデルになっている柳原白蓮の夫である宮崎龍介の手記の存在は前から知っていましたが、今回文藝春秋8月号に掲載されているということを知り、即効でゲットしました。

 

宮崎龍介のバックグラウンド

この手記の存在は、前から読んでみたいと思っていまして、今回文藝春秋で掲載するということを知り、むさぼるように読んでしまいました。僕がこの二人に関心が強いのは、柳原白蓮という人が当時の日本では上流階級にいる女性であったということ以上に、宮崎龍介という男の存在でした。

というのは、まず宮崎龍介という人物が、学生の時からロシア革命の影響もあり、日本でも社会主義革命を起こそうとしていて、それは彼自身が宮崎滔天というという父を持ち、その父は孫文の辛亥革命を支えた生粋の革命家であり、その宮崎滔天に大きな影響を与えた長兄の宮崎八郎は、ルソーの民約論に強い影響を受け、植木学校を作り、その後明治10年におきた西南戦争に参戦し、戦死するという、まさに革命家の血を受け継いでいるということに、革命家としてのDNAというものを強烈に感じたからです。ちなみに宮崎八郎をどうして僕が知っているかというと、司馬遼太郎さんの翔ぶが如くに登場してくるので、その甥っ子が龍介であるということも僕の心を刺激したのも事実です。

司馬 遼太郎 文藝春秋 2002-02

 

宮崎滔天の懐の大きさ

 

宮崎滔天

この宮崎滔天の懐の大きさを物語るエピソードが、この龍介の手記に記載されています。引用します。

この新聞(白蓮の伊藤伝右衛門への絶縁状)を見て父はたいそうびっくりしました。
「いいのか、お前、こんなことをして…」
(中略)
父としてみれば、いささか左がかった息子がどういう態度でこの事件に処していくか、余計な口出しはせずに見ていてやろう、という気持ちだったのでしょう。しかし、方々から私と燁子を批判する声があがって私達が苦しんでいたとき、父は一言、私にこんなことをいったことがあります。
「どうしようもなくなったら、お前たち二人で心中してもいい。線香ぐらいは仏前にオレが立ててやる」

これを龍介が父から言われた時の心情を思うと、どれだけ心強かったかしれないと思いますね。

白蓮への理解

 

柳原白蓮

この親にしてこの子ありと思うのは、龍介の白蓮に対する理解がやはり柳原家や伊藤伝右衛門とは違うとい記述があります。そこも引用します。

(白蓮は)不思議な女でした。かわいそうなものに対する同情、涙もろさをもつ反面、非常に強い自我をもっていました。反抗心といってもいいものでしょう。何であれ自分の自我を抑えようとするものに対しては、徹底的に反撥するというタイプの女でした。感情面の弱さ、意志的な強さ、この両面が燁子の歌や文章によくあらわれています。燁子の文学的才能は、この相反する二つの性格によってさらに光をましているという気がしました。
柳原にしても伊藤にしても、燁子のこういう性格や才能を見抜いて、それを大事に生かし、伸ばしてやろうという気はさらさらになかったようです。私は燁子のその性格が非常に魅力を感じたのですが、彼らにとってそんなものはとるにたりないものだったのでしょう。

白蓮は、自分の才能を見出して、理解をしてくれたということに強い感謝と愛情を感じたのは当然のことで、今まで皇室の藩屏である華族という傲慢さと大金持ちであるという物質的な傲慢さが白蓮を追い込んでいたのを、龍介の理解というものが白蓮に新鮮なものと映り、真実の愛に目覚めたというのは必然的なものだったという思いを僕は改めて持ちました。

幸福だった白蓮の後半生

白蓮が龍介と知り合ってどれだけ幸せであったかということは、自分の作った家庭を必死で育てていこうとした態度でよくわかりますが、やはり最良の理解者と出会えたと言うことが本当に幸せな後半生であったと、この手記を読むとわかりますね。特に一番最後の段で龍介が書いていることを引用しますと、

燁子の骨は相模湖の裏側の石老山にある顕鏡寺という寺に収めました。小さな山寺ですが、見晴らしのいいところです。燁子が心から可愛がっていた香織(戦死した長男)の骨と一緒に納めました。その寺のお坊さんと、「極楽へ行く道も一人で行くんじゃなくて、最愛の息子と二人連れだから、まあ淋しくないだろう」と話したことでした。

本当の優しさとか思いやりと言うのは、こういうものだと思うんですよね。白蓮は長男の香織が戦死をした時の悲嘆は大変なものだったそうで、それだけ愛情を注いだ子ども戦死は辛かったと思います。白蓮にとって誰だけ愛情を注いだかということも、この手記には書いてあり、

燁子はこの香織の死は非常に悲しみました。燁子がそれまで抑圧された暗い人生をふり捨て、新しい生活にとびこんですぐ生まれた子だけに、自分のすべてを注ぎこむようにして育てた子でした。香織の存在は、燁子の苦難にみちた人生そのもののような気がしていたのでしょう。だから香織の死は耐えられない悲しみだったのです。

母親は特に息子が好きですけれども、そういう風雪の前半性を自分の意志で捨て切って、新しい人生の門出の象徴のような息子の戦死は辛かったでしょうね。そんな心情を夫の龍介はよく理解をして、息子と同じお墓に入れてあげたという行為は、ちょっと感動的でした。白蓮がどれだけ幸せであったか証明するかのような1葉の写真があります。

最愛の夫と子どもに囲まれた白蓮の安らかな表情をみてもわかりますよね。こういうのを見るとやはり愛というのは今更ながら大事なものだと思います。

この手記に関しては一度国会図書館とかにいかないと読めないのかと思っていましたが、文藝春秋が「花子とアン」が放映されているということもあって、復刻してくれたのは本当に素晴らしい。本当の愛情とは何かと言うことがわかるような手記でした。

 

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