2016/06/060 Shares

司馬遼太郎の「花神」を読んで、改めて桂小五郎のことを見なおした件

司馬遼太郎「花神」

最近は司馬遼太郎さんの著作がどんどんKindle本化して、ファンとしてはありがたい限りです。今回も司馬遼太郎さんの名作の一つでもある「花神」を何年ぶりかで読みましたが、意外だったのは、こんなに桂小五郎のことが書かれている作品だったかな?ということでした。

「花神」とはどういうストーリーなのか

まずは「花神」のあらすじを書くと、幕末のギリギリの段階になって、まさに彗星のごとく現れて、見事に戊辰戦争を片付けてしまった、軍事の天才大村益次郎の生涯を描いた作品です。メジャーなところで言うと、九段の靖国神社の中央にある銅像は大村益次郎です。

靖国神社の大村益次郎

この銅像は、大村益次郎が緻密な計算で、彰義隊を上野の山に誘導して、見事に片付けてしまった上野戦争の方を向いているんだそうです。大村の場合は、天才的な科学者(医者ですけれども)らしい、一種の社会性というものが全くなく、基本的には感情で動かされるというよりも理詰めで戦争を進めていく人で、彼が出現したことによって、戊辰戦争があっけなく終わってしまったということはあります。

一方司馬遼太郎さんは、大村益次郎の生涯で最も活躍をしたのは、戊辰戦争よりも、第二次幕長戦争で見事に幕府を圧倒させたことを評価しているようで、中巻はそのことでほぼうめつくされています。

しかも、人との接し方について、変わり者でもある、大村益次郎が、戦争は理詰めであるから、計算通りに勝てる条件を整えれば見事に勝てるということを幕長戦争で実証し、そのことで長州軍から圧倒的な信頼を勝ち取りました。その勢いで戊辰戦争も当時からも英雄と見らた西郷隆盛を差し置いて見事にまとめてしまったというところに、大村益次郎が天才であるという所以でもあります。

大村益次郎とは

大村益次郎
大村益次郎

また、歴史は人を呼ぶといいますが、坂本龍馬が大政奉還を結実させると、あっさり暗殺されたように、大村益次郎も、戊辰戦争が終息した明治2年にやはり暗殺されています。龍馬の場合は、大政奉還をするために生まれてきたようなところがあるし、大村益次郎も戊辰戦争を終結させるために生まれてきたようなところがあります。しかも、大村益次郎の場合は、元々の身分はお百姓さんですからね。

でも、明治政府がいかに大村益次郎を評価をしたかといえば、戦争が終結した後に明治政府は、賞典禄として1500石を与えているということです。これがどれだけ多いかというと、西郷隆盛が2000石、大久保利通、木戸孝允が、1800石で、その次が1500石の大村益次郎です。彼の下には有名な人は結構います。1000石は板垣退助、小松帯刀、後藤象二郎、それ以下だと、山県有朋、後藤新平などそうそうたるメンバーがいます。しかも、何度も書きますが、彼は武士ではありません。ただ、その卓絶した軍事的才能を開花させ、人望とかは全くなさそうなのに、実力で官軍の総司令官になってしまったところが、やはり、普通の人ではないし、彼の使命が終わると、天はあっさり彼の命を奪ってしまったというところがあります。

大村益次郎もすごいけれども、それを発見して世に出した桂小五郎はもっとすごい

ただ、僕がこの大村の存在以上にすごいのは、彼を見つけ出した桂小五郎の眼力です。明治以降大した仕事もできずに、ほぼ鬱病のようになって明治10年に亡くなっているために評価が低いんだと思うのです。

ただ、この大村益次郎を、処刑された吉田松陰の遺骸を世田谷に埋葬すして江戸に戻ってきて、そこで処刑された女囚人を解剖する大村益次郎を見出して、彼の才能は素晴らしいからと言って藩に推挙するのは、桂小五郎です。

また、対人関係がうまくできない大村益次郎を様々なところでフォローをしたのも桂小五郎で、司馬遼太郎さんによれば、大村益次郎に対する友情の熱さは、半端じゃないということが書いてありますが、桂小五郎は、自分が好きな人間に対しては誰に対しても熱い友情を持っていました。

話は大村益次郎から外れますが、伊藤博文を発見して世に出したのも、桂小五郎です。切れる伊藤博文の身分が百姓ということもあって、それを桂小五郎が育み(はぐくみ)という形で自分の居候として、伊藤に「身分は違うけれども、志が同じだから我々は平等である」と言って、伊藤の活躍を促して、伊藤もそれに応えて、明治10年頃には、木戸孝允(桂小五郎)亡き後は、山県有朋と二人で長州を背負って行き、後に1000円札にもなったし、世界的にも日本の代表的な政治家になったということは日本人だったらだれでも知ってますよね。

つまり、桂小五郎は武士からではなくて、その下の身分の人たちから日本史的な人物を見つけ出して、それを世に出すきっかけを作ったという点では、もっと評価されてもいいと僕は思うんですよね。

結局明治維新後に大した仕事をしてないということもあって、後世の我々は桂小五郎に対して厳しいのでしょうけれども、桂小五郎にすれば、幕末までに大きな仕事をしたので、大政奉還、戊辰戦争、明治維新の成立で自分の役割は終わったし、その時点で自分は抜け殻だと思っていたようです。

これは、西郷さんも同じことを思っていて、実際に明治維新まであれだけ能動的に世の中に関わっていた人物が、明治以降はやることがなくなって、そのために征韓論に傾斜していき、最後は桐野利明らにまつりあげられて、西南戦争では自ら自滅してしまったところがあります。

去年長州藩邸痕で桂小五郎の銅像を見つけました

去年京都に行った時に、朝ごはんを食べにホテルオークラに行ったんです。ここは、長州藩の京都藩邸のあった痕です。このホテルのそばに桂小五郎の銅像があるということは知っていたのですが、ホテルの人に場所を聞いて、桂小五郎の銅像を見た時に、僕はずっとあなたに会いたかったんですと心のなかで挨拶をしました。

その若い晩年は目にかけた伊藤博文が、大久保利通にしっぽを振っていってしまって、孤独な人でしたが、戊辰戦争の騒乱をあっという間に終わらせた、大村益次郎を世に出し、世界を代表する政治家に成長した伊藤博文を世の中に出した、人を見る目という点では、彼の右に出る人はいないんじゃないかと僕は思うのです。

伊藤博文も後に出世をして、大磯の別荘滄浪閣に三条実美、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允を祀った四賢堂を作ったことからもわかるように、なんだかんだ言っても桂小五郎のことを尊敬してました。そういうところから見ても、桂小五郎の人生は大いに意義があったと僕は思うんですよね。

話は花神に戻すと、なかなか幕末の長州藩の動きというのがよく見えて面白いです。例えば、当時の長州藩の改革派のリーダーだった周布政之助が、当時長州藩にあっては、とにかく攘夷と大騒ぎしている中で、外国のこと知らないと行けないと思い、長州の優秀な人材をロンドンに派遣すること(長州ファイブ)を非常な思いで決意をしたところとか、あとは、幕長戦争の具体的な動きなどは、なかなか他では読めない魅力的な内容でした。僕自身も新たな発見もあり、楽しく読めました。

 

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