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司馬遼太郎作品「胡蝶の夢」に登場する関寛斎という人物が偉大という件

関寛斎

僕の好きな人で関寛斎という人がいまして、この関という人物は、司馬遼太郎さんの「胡蝶の夢」に主人公として出てきます。一般的には無名の人物ですがが、こういう人が現実にいたのかというくらい僕は彼のことが好きです。今回のこの人のことを紹介したいと思います。

関寛斎とは誰か

簡単に彼のことを説明すると、幕末から明治を生きたお医者さんで、もともとは千葉の出身の大変優秀な人だったのですが、自身が大変貧乏だったために町医者でいるところを、濱口梧陵(ドラマの「仁」にも登場して、「仁」の種痘開発を手助けしてくれましたね)に見出されました。その後の彼の人生を時系列に箇条書きをすると、

  • 長崎に行きポンペから西洋医学を学び
  • その後蜂須賀藩の藩医として召しだされ
  • 官軍の野戦病院の病院長となり
  • 各地を転戦し、その名医ぶりは喧伝され
  • 新政府成立後は医政のトップになると嘱望されました
  • 戊辰戦争後はすべてを捨て
  • そのまま徳島に帰ってしまう
ということをやってのけました。

もちろん、それだけでは終わらず、

  • 70歳になるとまだ未開の地である北海道陸別の開拓
  • 無償で周辺の人たちを診療
  • 82歳で服毒自殺
をします。彼の医者としての心得としては、病気にならないように予防する、或いは健康な身体を維持する、そのための医学というものでした。それは当時の医学では病気を治す力が無いために、予防することで病気にならないようにするというのが彼の診療方針でした。関寛斎がいかに合理主義な医師であったことがわかります。

西郷隆盛が、地位も名誉も要らない人間は始末におえないけれども、そういう人でなければ大きな仕事はできないということをいったことがありますが、関という人物はまさしくそれを実行した人で、本当にそういう人がいるのかと僕は不思議で仕方がないのです。関の面白さは、身分社会をあざけ笑うところにあると僕は思っているのですが、晩年は名前なんていうのは符号で、関寛斎の「斎」は邪魔だということで、関寛と称しました。

陸別町に関寛斎資料館がある

関寛斎が当時未開拓だった陸別町を72歳の時に開拓をし、無償で周辺の人達を治療をしたということで、神のように尊敬されたそうです。その証拠に地元陸別にには関寛斎資料館というものがあり、彼の事績を残しています。

関寛斎資料館

Googleマップストリートビュー

Googleマップ

よほど彼が慕われていたかということがわかるのは、陸別町には関寛斎の名前を冠した公的な医療機関「関寛斎診療所」があります。

陸別町関寛斎診療所

関寛斎に関する書籍

関寛斎は世間では無名ですが、調べてみると彼の関連書籍は意外とあります。そちらをご紹介します。 

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