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児玉源太郎という人物について

坂の上の雲は、明治維新で日本が近代国家になろうと、日露戦争までの明治国家が、いかに国民に希望を与えたかということが、ひとつの主題だと思います。

近代化というのはものすごくお金がかかる一方で、明治国家には外国と取引できるようなモノは当時なく、しかし外国から侵略をされないようにするためには、近代化を図らないといけないというところが、明治国家の主要な課題でした。

その為に人材を育成しないといけないということで、頑張れば、貧乏だろうが、町人だろうが、偉くなれるという希望を持たせたということは、結果的に国家として国民にいいことをしたと僕は思うんですよね。

ただ、日露戦争に勝ってしまった事で、官民ともに傲慢になり、日本は神国だから強いという何やら宗教的な事になってしまって、その後世界中の国と戦って大日本帝国は滅亡してしまった。これは今でも疑問なんだけれども、いわゆるエリートという人達が、どうしてああも無謀な戦争をしたのか、未だにわからない。一番の問題はアメリカに石油を止められてしまったから、石油のある国を日本が侵略して、その部分をカバーしようというのはどう考えてもおかしいし、侵略される国のことをきちんと考えたんでしょうか。これは本当に不思議だし、その辺りは、解明して欲しいものです。

それで、坂の上の雲に話を戻しますと、この物語の主人公は、御存知の通り、秋山好古と秋山真之兄弟と正岡子規です。ただ、戦争が始まってしまうと、この3人というよりも、戦争の進行が物語の主人公になります。

人物的には、陸軍は児玉源太郎、海軍は、東郷平八郎と真之かな。

そこで児玉源太郎という人の話を今日したいと思います。前置きが長くてすまん^^;

児玉源太郎という人は、日露戦争の時に陸軍の作戦の責任者です。その彼は、田村怡与造という人がいて、この人が日露戦争の研究をしていたんだけれども、研究のしすぎで亡くなっちゃいます。当時児玉は、台湾総督しながら内務大臣を兼務しているという政府のものすごく偉い人だったのですが、田村の死去によって、自ら参謀次長になります。今で言えば、外務大臣だった人が、政党の副幹事長になるようなもので、いわゆる降格人事です。

しかし、児玉は、陸軍の作戦をやるのは自分しかいないということで自ら参謀次長となり、日露戦争に出征します。陸軍の作戦は、結局児玉が対応することになり、日露戦争をする前から、この戦争は良くて5分5分で、それをなんとか、6分4分までに持っていけば、友好国が停戦を進めてくれるだろういう大変綱渡りな戦争でした。

これをなんとか6分4分までに持ち込んでいくのですが、児玉はこの戦争の心労で戦後1年以内に亡くなっているんですよね。全部やりきっちゃったということだと思うのですが、その児玉は一番初めに書きましたけれども、台湾総督でした。この台湾総督というのは、日清戦争で清国から日本が割譲されたところですが、台湾を支配するところのトップです。

植民地政策を彼は台湾で行ったのですが、李登輝さんも言ってます(この李登輝さんという人は、生まれた時から日本人として育てられて、京都大学に入っているような人なので、日本語はうまいというか、僕らは全く太刀打ちのできないすごい人です。)が、この時に日本は、日本国内以上にインフラを整備しています。その実行者は後藤新平という人ですが、それを大いにバックアップしたのが児玉でして、このあたりは、司馬さんの「街道をゆく-台湾紀行」とか小林よしのりさんの「新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 台湾論」に詳しいです。

この児玉源太郎の生涯というのは、かなりドラマチックです。彼はもちろん江戸時代の人ですが、彼は明治維新の主導力となった長州藩の出身なんだけれども、幕末は佐幕か攘夷かと藩内でも血で血を争う抗争があって、児玉のお父さんは攘夷派だったので、佐幕派が藩政を牛耳ったときには、当然ひどい目にあっているわけです。その後明治政府ができ、彼はその後のあらゆる戦争に産科をしているんです。西南戦争の時には、薩摩軍が熊本城を襲うのですが、その時に防戦したうちのひとりがこの児玉です。

明治のあらゆる戦いに参加をして、そして日露戦争の満州軍総司令部の参謀長として、ロシアと国運を賭けた戦いをして、なんとか勝ちはするものの、結局最後は精魂尽き果てて死んでしまうという、僕にとってはあまりにも劇的な人生としか言いようが無いし、もう少しメジャーになっても良い人物だと思うんですよね。

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