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【書評】ひとびとの跫音

この本は、ものすごく地味です。メインとなる人物は、正岡忠三郎と西沢隆二。ふたりとも昭和に亡くなっていて、司馬さんにしては従来の作風を根本から覆す極めて異質な読み物です。

司馬さんは、自身の傑作は、「竜馬がゆく」、「坂の上の雲」、「菜の花の沖」、「空海の風景」とおっしゃっていますが、僕はこの本も相当高いレベルなんじゃないか、或いは、僕自身にとっての司馬作品の中でこの本は最高傑作と言えるほどの作品かもしれない。

ひとびとの跫音 ひとびとの跫音

中央公論新社 2009-08
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本の読後感というのは、人それぞれだと思うけれども、僕はこの本を読み終わって鳥肌が立ちました。こういう感覚は、生まれて初めてで、これは凄い本だなと本当にビックリしてしまった。この本の中心になるのは、正岡忠三郎と言う人物と西沢隆二と言う人物で、恐らく知る人ぞ知る人で、この本は、この二人を中心とした司馬さんの交友録的なエッセイに近い。

ちなみにこのふたりのことを簡単に説明すると、正岡忠三郎と言う人は、正岡子規の養子です。その点では、まあ、ややメジャーかもしれない。西沢隆二と言う人は、もともと筋金入りの共産党員であり、後に除名されると言う結構数奇な人生を送っている人です。

忠三郎さんの(司馬さんはこの本の中でずっとこの呼び方で通している)一生は、義理の父であった子規と比べれば、この世に何も残さなかった。残したといえば養父の子規の所見を保管したということくらいか。いわゆる一般市民で、阪急に入ってはじめは車掌さんになり、その後梅田の阪急百貨店で婦人服を販売していたという本当に普通の人。

一方で西沢隆二(司馬さんはこの人の事についてはタカジと呼んでいる)は、忠三郎さんの高校時代からの友人で、戦前の非合法共産党員であったために、検挙され、戦争が終わる手前まで獄中にいて、獄中にいるときに、共産党を除名されるも、たまたま拘置所に徳田球一がいて、その流れで除名が撤回されるものの、結局また除名されると言う結構すごい人生を送っている人です。

こんな地味な二人なのですが、共通しているのは、人間としての風景に大変透明感があるということなんですよ。これは僕の主観的な感想なので、恐らくわかりにくいかもしれませんが、忠三郎さんにしてもタカジにしても、何かをすることにはぶれないと言うところが一環としてあり、功利性や打算的なものが一切ない。これです。

この時代、仕方ないのかもしれないけれども、僕自身がそうなのですが、あまりにも自分のために人を利用する人間がいかに多いか。人を肥やしにして自分だけ太ると言うやつが、あまりにも多すぎて、これは今や敗北者となりつつある僕の嫉妬心から起きているのかもしれないけど(こういう感情自体がエゴイズムとなり、僕にとってはものすごくマイナスになるそうなんですが)、すごく虚脱感を最近感じるんですよね。

偉い人で、事をなす人は「無私」である人が多いし、自分を誇示しようとはしないし、誇示をせざるを得ないところに人間の小ささを感じてしまって、僕も同じような人種なので、凄く嫌悪感を感じてしまう。ところが、忠三郎さんにしてもタカジにしても、全くそういうところから関係ないという司馬さんの描写の仕方がうまいから、ただただ僕は感心するしかなかった。

この本は、本当に内容が地味です。主題が世間では無名な二人の生と死が、淡々と書かれている。ただ、司馬さんの二人の人間としての透明さをここまで記述された著作物を読むと言うのは初めての体験でしたし、僕が求めているのはもしかしたら、ここなのかなとただただ思ってしまったのでした。

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