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小野田さんのこと

僕は第二次世界大戦の話を聞くともの凄く涙腺がゆるみます。やっぱり一番感受性の強い時に、国に敵を殺すことを強いられ、或いは自死することを強いられ、展望のない戦いを強いられたことへの無念さを思うと胸が痛みます。僕の母も、自分の若いときは戦争で終わったって言ってましたが、恋愛とか色々若者ならではのことをやりたかったんだろうなと思うね。

昨日、NHKを見てたら、小野田寛郎さんの特集をやってました。2時間という長時間でしたが、あっという間に終わってしまった。若い人は小野田さんのことを知らないと思うので、簡単に説明をすると、日本の情報将校でフィリピンに派遣され、当時の上官に玉砕は絶対するなという命令を30年近く守り通した人です。つまり、これは太平洋戦争が終わっても、小野田さんは終戦と知らず、ずっとルバング島のジャングルに二人の部下にいたというものすごい体験をしました。

その後、フィリピン軍に二人の部下を殺され、大変な孤独感に苛まれたそうですが、一連の捜索活動に触発された鈴木紀夫氏が、小野田さんと接触、日本の現況を説明し、小野田さんは上官の命令があれば投降するということになり、当時の上官がルバング島にいき、小野田さんに直接命令をすることで日本に帰国をすることになりました。この命令はもの凄く迫力のある命令文なので、ウィキペディアから引用させていただく。

  1. 大命ニ依リ尚武集団ハスヘテノ作戦行動ヲ解除サル。
  2. 参謀部別班ハ尚武作命甲第2003号ニ依リ全任ヲ解除サル。
  3. 参謀部別班所属ノ各部隊及ヒ関係者は直ニ戦闘及ヒ工作ヲ停止シ夫々最寄の上級指揮官ノ指揮下ニ入ルヘシ。巳ムヲ得サル場合ハ直接米軍又ハ比軍ト連絡ヲトリ其指示ニ従フヘシ。

この小野田さんがルバング島から出てきたのは、51歳ですよ。それだけでも僕は心が揺れてしまった。

あとイギリスのキャメルというプログレバンドが、小野田さんを題材とした「Nude(邦題:ヌードの物語 ~Mr. Oの帰還~)」というアルバムを発表している。知らなかった。

先の戦争は、多くの人の運命を変えてしまってる。例えば僕の大好きな司馬さんは、栃木県の佐野で終戦を迎えたのですが、この時に自分はどうしてこんな馬鹿な国に生まれてしまったのかという気持ちに苛まされたんだそうです。それでもう一度この日本という国を見つめ直そうと思って歴史小説を書く事にしたんだそうです。ただ、ノモンハン事件だけは死ぬまで書けなかった。

とにかく、日本は石油がないからというだけの理由で、中国を侵略し「満蒙は日本の生命線」という大義で満州国を勝手に作り、そこで石油がないとわかったら東南アジアを侵略するという、傍から観たらどう考えても反感を買うような事を平気でして、結局40カ国の国と戦争状態になるという、誰がどうみても考えられない事をした昭和日本の軍部。どうして負けるとわかっているこんな戦争を仕掛けたのかよくわからないし、しかも、実際に戦うのは20代の若者たちで、これはどう考えても気の毒としか言いようがないし、その責任は誰が取るのかという事をいいたいし、その被害を被った一人が、この小野田さんなのです。

1974年にジャングルから出てくる訳ですが、1974年というと今から36年前。僕が中学1年の時だったけど、僕は今でも覚えてますね。ただ、年を取ってから思うのは、小野田さんの同世代の人たちはどう思ったんだろうね。もし機会があれば母にも聞いてみたかったな。

小野田さんは、日本に帰国後1年ちょっとでブラジルに行ってしまいます。日本にいる間に小野田さんに何があったのか。或いは、帰国した日本のあまりの変貌に驚愕されたのか。当時の日本は、田中角栄総理の時代で、日本列島改造論である意味バブルの様相を呈していたわけで、そんな日本に嫌気をさしてしまったかな。

その後に小野田自然塾を主宰して今はブラジルと日本を往復する日々とのことで、日本にいるときは講演活動もあり、パソコンで自在に原稿を作成されている姿を見て僕は驚いてしまった。大正11年生まれですよ。すごいね。

後印象的だったのは、表情の違い。つまり、ルバング島から出てきた時と、今の小野田さんの表情。ルバング島から出てきたときは、やっぱり周りは敵だと思ってるからものすごい緊張感のある鷹のような視線。でも、今はこの人は仏様じゃないかと思うほど穏やかな視線。小野田さんは人間は時代に影響を受けるとおっしゃってましたが、正しく実感なんだなと思ってしまった。

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