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広告は嫌われる

基本的に広告は嫌われるのです。録画をする機械だって、広告カット機能とかあるし、ウェブブラウザだってバナー広告を表示しないような機能がある。それでも、広告はいつになってもなくならなくて、やっぱり誰かがモノを買うときに参考にする手段になる。今回はおちゃらけ抜きで長いです。申し訳ない!

コミュニケーションの重要性

ただ、インターネットによって伝達スピードが早くなったし、何よりもコミュニケーションがある意味従来と比べ物ならないくらい濃密になりつつあるときに人がモノを買う手段って別に生まれてくる可能性は、あると思うわけ。

例えば、僕はアップル関連製品が好きだし、iPadもiPhoneも使っていて、持っていない友人が聞いてきたら、これは凄くいいから買ったほうがいいよって僕は間違いなく言う。そこに僕の商売気があるかといえば、全くない。これは凄くいいからというのは本心だし、買ったほうがいいよと言っても、僕にメリットがあるわけではなくて、僕が使ってみていいから、友人も使ってみたらどう?という事になると思う。感覚的には、宗教に勧誘する感じかな。

本だってそうだ。友人が、司馬遼太郎さんの本にチャレンジしてみたいといったら、僕は迷わず「竜馬がゆく」か「燃えよ剣」をすすめる。何故かといえば、この2作品がもの凄く面白いからだ。

そこで、友人がiPadを僕の勧めで買って、これはいい!と思ったら、僕の株は上がる。また、司馬さんの本の件で、彼がこれはおもしろい!と思ってくれたら、僕の株は凄く上がる。株が上がるというのは専門性に関する信頼度が上がるということで、今後モノの購入云々というのは、こういう尺度が間違いなく出てくると思う。この株が上がる下がるというのは評価といってもいい。その証拠に、FacebookやTwitterがたくさん利用されつつあるインターネットでは、コミュニケーションをいかに広く浅くというよりも広く深くという流れになってきているということだ。

例えば、僕がいま高校の同窓生達とのコミュニケーションはほとんどインターネットだ。僕がTwitterで今どこどこにいるとか、今朝はこれを食べたよ!ということに対して、友人はチェックしてくれてるし、僕も彼らのTweetで、へえと思ったことにはコメントも入れている。また、SNSに同窓生のコミュニティを開設したことで、忌憚のない意見というほどじゃないし、コメントするメンバーが限られているといえば限られているけれども、それでも誰がいま何をしているのかというのはなんとなくわかる。それこそ、食べ物に関しての薀蓄が半端じゃない同級生もいて、今度どっかでご飯を食べに行こうと思ったら、その彼に聞くのが一番だ。彼は教えた情報量を払えなんて絶対に言わないし、場所とか価格みたいな客観的なものはウェブで確認するということで問題も解決するわけだ。

インターネットがさらに進化していくと、この関係というのが、もう少し幅広くなる。つまり、家電であればこのサイトに有益な情報が、グルメはここみたいなことが進んでいくんじゃないかと思うし、そこには確実にコミュニケーションが形成されているということが重要で、それこそソーシャルなスクエアが生まれる。

広告が時代遅れになる時代

それは、広告という媒体が、形態を変えない限り、一方的な片道通行的な手段であって、そこにはコミュニケーションは全く存在しない。これからは広告だけで買い物をする決意をユーザーに求めるというのは、情報が不足していた時代はまだしも、今のように情報が溢れかえっている時代において、それほどニーズのあるものなのかという疑問も出てくる。

Googleが火をつけた検索連動型広告の革新さは、

  • 僅かな予算で広告活動が可能であるということ
  • 成約率が高いということで

ということだった。これらにより、インターネットの広告はGoogleの独壇場となった。
こちらについては、細かいことは書かないけれども、予算と利用キーワードによっては、Googleの検索結果の上位に表示させることは可能だ。また、検索連動ということで、検索しているユーザーは、興味がなければ検索はしないというところから、他のインターネット広告と比べて格段の成約率を誇った。この広告のイノベーションが、Googleのインターネットにおける地位を確立したと言っていい。

ところが、所詮広告ということもあり、成約率はどんどん落ち込んでいるし、ますますマーケットのレッドオーシャン化が進んでいるので、結局価格競争で企業も利幅を下げざるを得ないという状況になっている。(Googleは成約率が下がっているので、ユーザーが成約しやすいようにするために躍起になっているけどね)

信頼性の高いクチコミの台頭

以上の点で価格は比較しやすいけれども、結局それを使ってどういう事が出来るのか、或いはどう言うメリットがあるのかというようなことがわかるのは、所詮クチコミであり、それの根本となるのがソーシャルなものだということになる。そうすると、僕を知っている人はいいけど、僕を知らない人が僕の意見を聞いて何か買うのか?というとそれもない。じゃあ、どうするかということがこれからのこのインターネットの課題であり、ある意味評価基準なんだと思う。

じゃあ、その評価基準ってなんだ?ということについては、去年「ツイッターノミクス」という本が実は言及している。ここに書いてあることは当たり前のことで、信用或いは信頼というものをインターネットで数値化することが一番客観的な判断をしやすいということです。つまり、クチコミにおける信頼性或いは信用性を数値化することで、客観性を保つということだ。

ただ、このクチコミというのもなかなか難しいところがあって、大変主観的な意見でもあるわけです。これは僕が以前沖縄に行く時に、たまたまお盆にぶつかってしまい、予算の関係もあってホテルのグレードを下げてみることにした。それはその旅行サイトに書いてあるお客さんの声がとても好意的な意見にあふれていたから。ところが行ってみたら、大変ひどいホテルで、せいぜい良かったのはビーチくらいという有様で、一概にクチコミが正しいとも言えないのです。AさんがGood!と思っても、僕はそれをGoodと思わないかもしれない。

世の中の流れにおいて、人々がコミュニケーションを求めているのは事実。未だにぼくはこんな商売をしていても、Facebookがよく分からないけど、6億人も参加しているメディアがある事自体が驚異的だし、今やサイトのアクセス件数は「検索」よりも「コミュニケーション」を求めているということを重視すべきで、そこに新しいビジネスが生まれる大きなヒントがあるし、既に動き出しているのかもしれない。

そうなると、広告の存在は全く無くならないにしても、それほど大きな顔もしてられなくなる。ま、その辺りは世界のGoogleが色々と考えてるでしょうけど、GoogleBUZZを見る限りは、個別的なソーシャルメディアは得意じゃなさそう。今度はダレが出てくるのか、それが楽しみだね。ここで、それを買えるのは俺様だと言いたいところなのですが、そこまで僕も優秀じゃないので、試行錯誤を繰り返そうと思っています。

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