0 Shares

年齢のこと

先週、ついに僕も50になってしまい、まさか自分が50になるとは夢にも思ってなかったけど、現実的には50だし、僕だけが年をとるわけじゃないけど、僕もいつの間にか世間で言えば初老の域に入ったのかという感じです。

年をとると一番身近になるのは、「死」ということと、衰えるということかな。先日高校の同級生が、自身の日記で痴呆が発症してしまったおばあさんに対して、大きな愛情を持って見つめているのですが、彼女もご両親が亡くなり、お母様の晩年をそのおばあさんに重ねているという感じがしました。僕もなんとなく彼女の気持ちがわかる。

また、お父さんやお母さんが亡くなっている同級生も随分いて、物理的に時間が流れる以上、いつかは必ず起きることだ。と言っても、長い間一緒にいた人だし、おそらくこの世で唯一絶対的な味方であり、最も愛を注いでくれた人を失うというのは悲しい事だ。僕は未だに母が亡くなったことが今でも信じられない。

僕も2009年の夏に母を亡くしたんだけど、弟から母親の余命が数ヶ月だと突然言われて、大急ぎ入院している病院に飛び込んだんだけど、その後彼女が天に召されるまで、病院に行くたびに母親が明らかに衰えていくのを見るたびに、僕はものすごく衝撃を受けた。これはたとえとしておかしいかもしれないけど、花が徐々に枯れていくように、人間もどんどん衰えていき、結局最期は僕のことさえもわからなくなり、あっという間に逝ってしまった。このあっという間というのは、数ヶ月だといわれたけど、実際には1ヶ月ちょっとだった。

こういう場合によくあんなことを話しておけばよかったとか、こういうことをしてあげたかったという後悔している人をよく見かけますが、正しく僕もそうで、もっともっと話をしたかった今でも思うね。

こういう時に思うことは、親だって子供の頃もあったし、青春時代を過ごして、そして結婚し、僕らを産み、そして僕らが独り立ちする頃には、親自身が体調というか体に不調が起きるようになり、明らかに自分が衰えていくということに、どういう思いだったのかなということ。

自分が颯爽としていた40歳くらいまで、その後子供が独り立ちするようになって、構う相手がいなくなり、息子が連れてきた嫁との余計なコミュニケーションまでせざるを得なくなって、その時彼女はどういう思いだったのかなと今でも思うんだ。彼女は嫁とはうまく行かなかったけど、孫とはいい関係だった。嫁はそれも気に入らなかったようだけど。

僕自身は、母が亡くなってから母と同年配の人達にはものすごく心が広くなったと思うし、出来ないことに対して寛容になった。それは最も身近だった母と間違い無く重ねてしまう。

僕も50になり、恐らく普通に動けるのはあと長くて20年。間違いなく死に近づく自分は、その時どういう心境になるんだろうって思うね。動きたくても動けない。もしかしたら、杖を使わないと歩けなくなる時に、どういう気持ちになるんだろうと思うと、ある種の恐怖を感じる。

ただ、一方で高齢でも矍鑠とされている大先輩もいるわけで、そういう大先輩を見ると畏敬の念を持ってしまう。それと僕自身まだまだやらないといけないことはあって、もう一度会社を立ち上げたいし、エンタメ系だったら、ギターをもっとうまくなってステージに立ちたいし、英語もTOEIC700点まで上げたいしとやりたいことはまだまだあるから、時間も足りないなあ笑

ま、今日はとりとめのないことを書いたけど、老いとか死とか、衰えというものを色々と考えてしまった今日この頃でした。

この記事が気に入ったら
いいね!しよう