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カダフィ大佐死去のニュース

今日の記事は、忘備録として書いておこうと思います。カダフィ大佐死去のニュースです。テレビの映像とか見るかぎりは、カダフィは捕獲されてその後処刑されたんじゃないかなという感じがする。人民を無用に弾圧したつけが、結局自分に跳ね返ってきたというところでしょうか。

独裁者の最期というのは、大別すると天寿をまっとうしてから、後日批判されるタイプと、政権が転覆して処刑されるタイプの2つがあると思うのですが、前者だと旧ソ連のスターリン、北朝鮮の金日成、中国の毛沢東。後者は、最近の例で言うとルーマニアのチャウシェスク、イラクのフセイン、そして今回のカダフィかな。

独裁者が、生命も含めて打倒されるというのは、直接被害を受けていない僕としては気の毒だなと思うしかないのですが、いずれにせよ革命とか国体が変動するときは、前政権の指導者というのは確実に悲運というか、結局自分の命を失うというケースになる。それは反対勢力から目の敵にされるだろうし、反対勢力がさんざんその指導者からはいじめられてきたわけだから当然リベンジというのは必ずあるわけで、究極の自業自得っていうやつですな。

ただ、難しいのは独裁政権が国を絞めつけないと、国内が混乱してしまうということもある。イラクがいい例で、フセイン政権が打倒されたけれども、そのあとはずっと国内が混乱しちゃってて、結局治安も悪化しちゃうということになる。アメリカがイラク戦争でフセインを打倒したのはいいけど、国がめちゃめちゃになった責任をアメリカはイラク国民に追うべきだと思うね。

かつて旧ソ連が共産党独裁が有効だったのは、あれだけ国土が広くて、多くの民族をまとめるためには強制力がひつようだったということ。このいい例が中国で、あの国に歴史的に民主国家が成立した試しがない。ずっと帝政が続き、それが打倒されると、共産主義国家が成立したということで、あれだけ国土が広いと専制国家じゃないと国がまとまりません。おそらくそういう政治ってしんどいと思うのですけどね。

話は革命に戻るけど、革命には当然産みの苦しみというのがあるわけですが、日本でも明治維新という革命が、今から140年前にあった。この革命では、前政権のトップが血祭りにあげられるということがなく、その点国際政治史において評価されるべきだと僕は思ってますが、これは将軍だった徳川慶喜が恭順し続けたということで全く反抗しなかったところが、江戸城の無血開城につながった。もちろん、戊辰戦争という内乱が起こったけれども、結局外国の手を借りずに、自ら国を収めたというところも評価されてしかるべきだと僕は思うのです。

今回のリビアの騒乱については、ヨーロッパと言うかNATOが反カダフィ勢力に肩入れをしたというところは、結局石油利権があるからというのは明らかで、そういうところにすごく嫌悪感を感じますが、独善的な独裁者がいなくなったということで、リビアも少しは落ち着くといいなと思います。

今後、独裁と言われているシリアやイエメン、ベラルーシ、北朝鮮の指導者は戦々恐々としてるんでしょうね。

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