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AKBあっちゃんが自責の念にかられてる件

高校の時にプリズムというバンドのコピーバンドをやっていたことがある。このバンドのギタリストの和田アキラという人が、当時僕にとってはかなりヒーローだったんだけど、その彼が好きなギタリストとしてアラン・ホールズワースという人の名前を挙げていのたで、僕はなけなしのお小遣いで新宿かどっかの輸入盤屋さんでレコードを買ってきたことがある。

僕としても、あの和田アキラ推奨のアラン・ホールズワースというギタリストは、どれだけ上手なのかとものすごく期待をして、レコードのビニールを破ってレコードをプレイヤーにかけ、流れてきた音楽があまりにもひどく感じられ、今から思うと、高校生の僕にとっては難解だったのかもしれないけど、この時の音楽への失望感って今でも残っているし、このとき以来アラン・ホールズワースの音楽って聞かなくなった。

結局音楽というのは、まず曲があって、それにそれを演奏なり、歌う人がどれだけのパフォーマンスを演じることで、それを聞く人がどう感じるかということだと思うのです。それは昔のバンドでDeep Purpleには名曲と言われる曲が何曲もあるけど、その名曲の上にリッチーのギターやイアン・ギランのボーカルが絡むことで曲の幅が変わってくる。

ドラマだって同じで、まずストーリーがあって、それに良い脚本ができて、そのストーリーをよく理解して自分なりに消化した役者さんが自分なりに演じることで、いいものが出来上がる。逆に言うとストーリーがつまらなかったら、どんなに良い脚本でも、どんなに優れた役者が演技をしても、これはどうにもならない。最近で言えば、江~姫たちの戦国~とかそうでした。ストーリーがあまりにも陳腐だったので、役者のブランドも大きく落ちた。上野樹里はきれいだし、役者としてもそれなりに実績があるのに、江~姫たちの戦国~がひどかったので、「のだめ」から抜けきれなかった。大河ドラマで言えば、今度の平清盛も痛い内容で、見てられない。僕は日曜日は6時からBSで大河を見て、そのあと8時で見るという感じでしたが、今は8時のは見ません、つまんないから。

あたりまえのことなんだけど、モノには根本的なものがあって、音楽だったら曲だろうし、映画やドラマだったらやっぱりストーリー。役者やミュージシャンは、それをさらに良くしたりするパフォーマーであって、立場的にはコンテンツが主でパフォーマーは従になると思うのです。

ところで僕は50になるけど、AKB48が好き。彼女たちが可愛いという以上に曲が素晴らしい。僕は自分のお金でヘビーローテーションとか、Everyday、カチューシャを買いましたけど、これは大島優子ちゃんや小嶋陽菜ちゃんが可愛いと思うけど、それ以前にこの曲が自分は好きだから買う、いい曲だから買うということで、これはレインボーやエリック・クラプトンのアルバムを買うのと全く同じ。AKB48の場合は曲がいい上に、それを演じる子たちがとても可愛いし、もちろん、秋元さんのテクニックも当然あるにしても、やっぱり歌手として彼女たちはいい曲に恵まれていると思うのです。

今回どうしてこういう記事を書こうかと思ったのは、J-Castニュースで前田敦子が主演してるドラマはこけてばっかりいて、それは前田あっちゃんの責任ともとれる記事を読んだから。
映画、ドラマ不振続きで自信喪失 前田敦子「いまは主役無理」

AKBの中でも僕は特に前田敦子ちゃんは好きじゃないけど、彼女が出演したドラマや映画がコケたのはあっちゃんのせいじゃない。これはこのドラマや映画の内容が良くないだけであって、AKBを使ったら客がとれるという安易な考え方しか持ってない人たちの責任だし、それをあっちゃんに求めるのは酷だし、あっちゃんも責任を感じることは全くない。要は内容と演出の問題なので、パフォーマンスをする人の責任では全くないのです。

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