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本物を見分けよう

よくお利口自慢の人が、「知」という言葉をよく使います。作家で言うと、本田直之とか勝間和代、神田昌典とかそういうたぐいの連中です。ま、馬鹿じゃないだろうけど、小利口という言葉がぴったり嵌る人達で、こういう人達が上手なのは、人を煽ったりとか、自分の数字のために人を動かすことに長けている。詐欺師に最も近い人達です。こういう連中がやたら「知」という言葉を使いたがる。どうしてですかね。

話はころっと変わりますけど、僕の母親は教育熱心で、それはもう僕に本を買い与えましたし、僕が本を買いたいと言えば、いくらでも買ってくれました。いい母親でした。(甘やかされたので、しっかりダメ人間になってしまいましたが^^;)その母は、僕にいつも言っていたのは名作を読めということでした。漫画ばっかり読まないで、とにかく名作を読めということで、僕の部屋には世界名作全集とかそういう本はありましたよ。読まなかったけど^^

その後僕も色々年を取り、それこそ母親が僕に名作を読みなさいというような年令になって、やっとわかったことは、母が言っていた名作を読みなさい。本当の本を読んだほうがいいよということです。

名作というのは、何時の時代にも評価されるもので、それは恐らく根本的なものは時代が変わっても変わらないということだと思うんだけど、漫画についていえば、時代に適合したものを書かないと受けないでしょうし、それが例えば僕らが子供の時は、巨人の星とかあしたのジョーとか、或いはウルトラマンとかなんだろうけど、あ、あと、タイガーマスクとかもあったか。そういうのが今の時代で受けるかというと、それはまず受けないと思うんですよね。古くなっちゃってるから。

それに共通しているのが、今挙げた連中の本で、彼らはなんとか「知」とかいうことをよく書きますけど、あれだけ大騒ぎしたけど、どいつも消えちゃいました。それは彼らの言ってることが外れているから。我々が神田、勝間、本田達が書いてることを実行してもうまく行かないし、それに対して連中は責任は取りませんし、また、我々も責任をとれとは言わない。しかし、現実的に実行してもできないということは、まやかしだったということで、それは何年か前は世の中が大騒ぎしたけど、今は誰も騒がない。彼らが偽物であるということがやっと世間に認知されたということだと僕は思っているのです。

それに彼らはインターネットによって出現してきた人種ですが、インターネットの特徴はとにかく動きが早い。昨日新しかったものが今日は陳腐化してしまうというもので、それが正しく当人に当てはまっていて、その根本的な原因は彼らの中身が薄っぺらなので、あっという間に賞味期限が切れてしまったということです。

この点で、気分がわるいのはこの連中に便乗して、でたらめな書評を書き続けたブロガーがいます。一人ひとり名前を挙げたいくらいですが、この連中も書評を書くことで、売上に貢献するだけではなく、Amazonから紹介料がでますから、作家に近いということをひけらかして、それをブログに書く。素直な読者は思わずそのブログでポチっとクリックして結果的に売上だけに貢献しているだけで、素直な読者はその本を読んだ読了感に満足しているだけで、それが本人のプラスにもなんにもなっていないんです。本当に気分悪いわ。

じゃあ、そこまでお前が言うんだったら、何を読めっていうのか言ってみろって言われますけど、僕が言いたいのは、薄っぺらいビジネス本は役に立たないよと言いたいんだけど、僕は司馬遼太郎さんで日本の歴史、司馬さんは幕末と戦国しか書きませんが、この時代が一番日本人が高揚した時代ですから、読んでて楽しいし、歴史に名前を残す人はどう言う人なのかということがわかって面白い。また、何度も読むと、歴史上の人物を批判的に見ることもできるし、今はインターネットという便利なツールがあるので、わからないことを検索すればすぐに答えが見つかる。

それと、この人の本を読んでいると、やっぱりよく調べている。神田の古本屋さんの店主が言うには、資料を一番買う作家は司馬さんだったそうですね。一度来店すると、トラック1代分の資料を買ってちゃうそうです。確かに、坂の上の雲なんか読んでると、あれはフィクションとノンフィクションが複雑に絡み合ってる名作ですけど、どの軍がどう言う動きをしたのかとか、そういうことは克明に書かれている。僕は彼の著書を色々と読んだけど、その知識の幅は半端じゃない。よくこんなことを知ってるなという思いは何度もありました。

それに今は、知らないことは、インターネットで調べるということが今や当たり前の時代になっている今日、司馬さんの名作を更に楽しめる。例えば、秋山真之ってどういう顔をしてるんだろうかとか、そういう楽しみ方があります。

あとは瀬戸内寂聴さんと宇野千代さんの本も面白い。特にこの二人は若いころ、好き勝手なことばっかりしてたし、大正デモクラシーの時に生まれたり、そこを通過していた人たちは、実に奔放でスケールの大きさは半端じゃない。宇野千代さんも瀬戸内寂聴さんも、若い頃はセックスばっかりしていたようだし、宇野さんにいたっては確か3回くらい自己破産をして、そのたびに復活しているわけで、実にすごい女性です。「泥棒と人殺し以外はなんでもやった」というセリフは、普通吐けないし、僕はこの人の本で救われたこともあり、ひときわこのおばあさんの凄さを感じてますし、寂聴さんがこのおばあさんのスケールに圧倒されちゃってるのがおかしい。

寂聴さんも寂聴さんで、今は小さいおばあちゃんのお坊さんになってしまって、随分僕も寂しいし、年齢も年齢なのでいつまでもお元気でいて欲しいとせつに願っていますが、彼女の奇縁まんだらという本は面白いので、お勧めです。この本は寂聴さんが多くの人との交遊録を書いてるんだけど、彼女の人物評が、彼女の筆力によって更に面白くなっていて、こういう文章を読むとさすが作家だって思うのです。

ただ、微妙なのはそういうのがわかるようになったのは、やっぱり45すぎてからということもあり、本物かどうかの機微はその人の感受性ということもあるとは思います。ただ、今時のビジネス本というのが、今しか役に立たない。この本が100年後誰かに読まれているのかということは、名著であるかどうかの指標だと思うのです。それは漫画だってそう。名作は残ります。ただ、ビジネス本は今を解決するという目的や、売らんがための変なタイトル本。これは絶対に役に立ちません。もし読むにしても、読み捨てという感覚で読んだほうがいい。

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