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インターネット時代下のブランドについて

前回ブランドについて間違った解釈をした社長が会社を潰すまでの顛末について書きましたけど、最近翻訳家の滑川海彦さんが、Facebook上で知らない友人がいる事自体その人の信用力を下げるものだということを書いていて、正しくその通りだなと僕は思いました。

結局FacebookにしてもTwitterにしても、どれだけ多くの人からフォローしてもらうということがあって、それは勝間和代とか堀江貴文みたいにやたら自分のフォローする人間を増やし、それを赤裸々に自慢しているような人たちが実際にいて、でも、この連中はおそらくフォローしている人の90%以上面と向かってはなしをしたことがないはず。

よくFacebook上の自己紹介であったことのない人から友達の申請をされても、承認しませんということを、よく女の人が書いてるけれども、それは当たり前のことで、文章に書かれるとキツイなと思ったりしますが、本来友人になるのってそれなりに時間がかかるわけだし、ITだから友だち申請を会ったこともないような人としても、何も生まれない。なぜなら相手のことを知らないから、その人が何をしていたとしても、それを知りたいと普通は思ったりしないと思うのです。それ以前にどうしてそんなに友達がほしいの?今のままで不満なのか?って思っちゃうわけです。

Facebookにしても友人の登録というのが、5000人が上限らしいんだけど、で、そういう人がけっこう見受けられるのですが、これはどういうことを目的にしてるんですかね。仕事のなんだろうかって思ったりしますけど、そういう人に限って特に重要なことって言わなかったりしてるんですよね。

さっきの前述した滑川さんという方は、IT系の翻訳を中心にやられているので、彼が何かの記事に言及したりすると、その記事もどういうことを書いているのか見たくなります。つまり、Facebookにしろ、Twitterにしても、おすすめのサイトを紹介するツールでもあるんです。それが滑川さんのようにITに詳しい人が、ある記事をおすすめすると、滑川さんがおすすめしてくれてるからきっとよくかけている記事なんだろうと良い意味でのフィルターがかかるわけで、それは彼自身のその方面についての専門性が認められているからだと思うのです。

この信頼性というものが実はこのインターネット時代においてとても重要な指標になります。つまり、ある人のある分野についての意見やおすすめが、何かの決断の補助になるということであり、いわゆる口コミの一つと言えます。

ただ、めたらやたらその口コミを信じるんじゃなくて、ある分野の専門性の高い人の意見を参考にするということが今後広告の役割の一部を担うんじゃないかなと思ってます。これはとても重要な時代の流れだと思っていて、例えばそれが本だったり、iPadが欲しいと思って、評判をインターネットで探すということは今でも行われているけれども、これがもっと進化していくだろうということなのです。

ところが、先日食べログのお店へのコメントにヤラセがあったと騒ぎになりましたけど、あれは本来「大騒ぎ」しないといけない事案でした。つまりこれは一番やってはいけないこと、つまり情報を恣意的に操作するということで、これをやっちゃうと、そこの信用力がなくなるので、何かを決める一助にならない。ところが世の中は、広告よりも一般的な人の感想を聞いて、それを判断の材料にしようとしている。ところがその判断の材料になるというものが信用出来ないのであれば、どうしょうもないというわけです。食べログにおいては、このふざけたことをした業者を、事業の根本を覆す行為として刑事告訴をしてもおかしくないのですが、食べログはその後何もしてない。このあたり、意識がすごく低いんですよね、両者とも。

将来的な話になると、ここまでソーシャル的なものが誰もが利用するようになると、友人がどういうことに詳しいかということがわかってきます。そうすると、彼にはアノコトを聞けばいいとか、彼女にはアノコトを聞けばいい、Bさんのブログは食べ物に詳しいから、彼のブログのおすすめのお店に言ってみようということになります。そうすると、今まで以上に広告の存在価値が下がってくるわけです。なぜならば、広告は一方通行的なものだからです。ところが口コミがあれば、自分の欲しいものはある程度固まっているので、口コミを、決める時の参考にする部分が大きくなるだろうと思うのです。

ここはもっとわかりやすく言えば、GoogleがGoogle+などのソーシャルメディアに躍起になっているのは、こういうことだと思うんですよね。つまりGoogleの主要収益源である広告が、世の中のソーシャル化で早晩陳腐化するとわかってるんじゃないかと思うね。これはユーザーが何かモノを買うときに、Googleの広告をクリックしなくなるんじゃないかという危惧感の現れだと思うのです。

その点、Facebookはソーシャルの権化みたいなものだから当分我が世の春を謳歌するだろうね。ただし、世の中は専門化が進んでいくから、安閑はしていられないと思うし、ポストFacebookはそんなに難しいことじゃないのかもしれないと思ったりしちゃうわけです。

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